俳優三夏紳(みなつ・しん=80)と映像監督松生秀二(まつおい・ひでじ=80)の61年に及ぶ長き友情の結晶、劇団三松座の公演「告白」が20~22日、東京・武蔵野公会堂で上演される。

座長を務める三夏が33年前、未経験だった舞台上演を松生監督に持ちかけて三松座を結成。「告白」は三夏が主演、脚本を担当、松生監督が演出を担当する。

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三夏と松生監督は1960年(昭35)に日大芸術学部に一緒に入学。三夏は翌61年に大映のニューフェース15期生に合格。師匠の勝新太郎の代役を務め、一方で市川雷蔵の主演作品に抜てきを受けた。

66年の雷蔵主演映画「陸軍中野学校」は、大日本帝国陸軍のスパイ養成機関であった陸軍中野学校が舞台。三夏は、物語のキーポイントとなる中野学校の生徒・手塚を演じた。監督は勝新太郎のヒットシリーズの第1作となる「兵隊やくざ」(65年)や、のちに「大地の子守歌」「曾根崎心中」を手掛けた増村保造だった。

「増村監督には『陸ガウン中野学校』の1つのセリフだけで、10時間近く絞られたことがあるんですよ。『はぁ!』という1つのセリフだけでね。女に会いに行くのに、教官役の加東大介さんにうそを言って、「手塚、重要なことなのか」とにらまれて問い詰められる。思わず「はぁ!」と。そのシーンの撮影でOKが出なくて、朝10時前から始まって、終わったのが7時すぎ。昼飯、晩飯抜きで。加藤さんを相手にするわけでなく、カメラを乗せる脚立を相手に『やってろ!』と命令されて、ずっとやっていた。メチャメチャにされて、もう俳優を辞めようかとも思いました」

増村監督の意図は、翌日の撮影の手塚が自害するシーンに向けたものだった。

「次の日の自害するシーンは、1度もNGがなく終わりました。撮影が終わった日の夜に雷蔵さんが『増村って監督はすげえな。昨日のお前の“はぁ!”は今日の伏線なんだよ。だからお前、今日はセットに行った時から怖かったろ』と。その雰囲気が欲しかったんですね。変に役作りをされたら困るとね」

「はぁ!」の翌日にセットに入ったら、増村監督に「三夏君、保健所に連れて行かれる犬を見たことあるか」と声をかけてきた。

「昔は、野良犬が捕まえられて、よく保健所に連れて行かれたんですよね。増村監督には『今日の君は、その犬だよ』と言われました。『中野学校を救うため死んでくれ』と、そのシーンが欲しいために、前の日にメチャクチャにいじめてくれたんです。それを、雷蔵さんが言ってくれたのを覚えてます。『“はぁ!”が欲しいために、昨日からお前を、手塚を作ってるんだよ』って。それだけ、いじめておいて、増村監督は、ずっと使ってくれました」

(続く)

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◆三夏紳(みなつ・しん)1941年(昭16)6月13日、広島市生まれ。日大芸術学部在学中の61年に大映ニューフェース15期精。62年映画「雪の降る町に」で俳優デビュー。64年映画「獣の戯れ」。66年映画「陸軍中野学校」。66~71年、TBS「ザ・ガードマン」。72~75年、NET(現テレビ朝日)「特別機動捜査隊」。83年映画「丑三つの村」など。

◆松生秀二(まつおい・ひでじ)1941年(昭16)5月7日、北海道生まれ。63年に日大芸術学部を中退して、大映のテレビ部の演出家に。70年にTBS「あなたはいない」で監督デビュー。フリー監督として大映テレビ、人間プロ、近代映画などで監督活動。71年TBS「メダカの歌」。86年フジテレビ「愛の嵐」。96年フジテレビ「はるちゃん」。06年映画「奇跡の海」。07年「絆」など。

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▼劇団三松座公演「告白」 8月20~22日、東京・武蔵野公会堂。脚本は三山紳市、山田哲也、演出は松生秀二。出演は三夏紳、高橋政子、穐吉次代、山田哲也、川島一平、星野光代、市瀬瑠夏、丸山果里菜、叶純子、上原和ら。