16歳の女子高生の性を描いた1975年(昭50)の映画「青い性」、菅原文太さんが主演した77年「新宿酔いどれ番地 人斬り鉄」などで知られる、小平裕(こひら・ゆたか)監督が、誤嚥(ごえん)性肺炎のため8月12日に都内の病院で亡くなっていたことが30日、分かった。82歳だった。喪主は妻の夏穂さんで、葬儀は家族葬として営んだ。

小平監督は、1962年(昭37)に東大文学部を卒業後、東映に入社。助監督としてキャリアを積み、75年に当時16歳だった三東ルシアを主演に起用し、脚本も手掛けた「青い性」で監督デビューを果たした。

翌76年には、志穂美悦子主演の76年「必殺女拳士」や岩城滉一が主演した「暴走族シリーズ」の1本として知られる76年「爆発! 750cc族」、多岐川裕美主演の同年「新・女囚さそり 701号」などの作品を相次いで監督。77年には故菅原文太さんが中年ヤクザを演じた「新宿酔いどれ番地 人斬り鉄」の監督、脚本も務めるなど、東映のプログラムピクチャーを支えた。

85年には明石家さんまも出演した映画「パンツの穴 花柄畑でインプット」、翌86年には光石研主演の「童貞物語」といった、中高生の性を絡めた青春映画で監督を務めた。一方で、82年には日本ではほとんど見られなくなったSLを求め、中国で2万5000キロものロケーションを行ったドキュメンタリー映画「真紅な動輪」も手掛けた。

90年には、沢田研二ら日本のグループサウンズブームを巻き起こしたスターたちが出演した映画「僕と、ぼくらの夏」も監督した。