キャシー中島(69)が1日、都内で一般社団法人日本キルト協会設立記念会見に出席した。

10月8日に2度目となる基底細胞皮膚がんの手術を受けて以来、初の公の場となった中島は会見後、囲み取材に応じ、1ミリの皮膚がんながら22針も縫うなど、大がかりな手術だったと明かした。その上で、16年に続き2度、基底細胞皮膚がんになったことや右目の視力が落ちてきていることに、車を運転する際に浴びた日差しの影響があったのでは? と指摘し、サングラスやカバーによる対策の必要性を訴えた。

中島は16年2月に基底細胞皮膚がんが判明し、右の目の下を3センチ、切った。その後、5年間、検査をする中で、医師からは「基底細胞皮膚がんは再発ではなく、取ってしまえば大丈夫」と丁寧に説明を受けた一方「体質により再度、出来る可能性がある」と聞かされていたが、9月末に右の鼻に異変があり、医師から「残念だね」と皮膚がんを指摘されたという。

「1ミリの皮膚がんということだったので、せいぜい、1センチ取ってつなげればいいと思ったので、3針くらいと勝手に思っていた」というが、医師に示された手術の範囲が想像以上に大きかったという。「こんなに切るんですかと話しました。涙がポロポロ、ポロポロ、出ちゃって…すごくショック」で、医師に意図を聞いたという。その際「鼻の横は肉がすごく少ないので、取ってしまうと、なかなか肉が上がってこないから、下の方から引っ張ってかぶせないといけないから」と説明があったというが「すごい状態でカットして…覚悟はしていましたけど、悲しかったです」と振り返った。

手術し、家に帰って手術を受ける部分を示した写真を見せたところ、夫の勝野洋(72)は「こんなにすごく! と引いていましたね」と驚きつつも、少し間を置いて「(手術のあとは)きっと、すぐ分からなくなるよ」と中島を励ましたという。一方、次女の雅奈恵(39)は「ママの顔に傷がドンドン増えていくということに関して、同じ女性なので、ものすごく心配していたと思います」という。

手術後、しばらくは「(患部を)半分くらい隠してテープで置いておいた。思ったより大きく切ったので、引きつれが心配なので、プロテクトをするという意味で」テープを貼っていたという。「笑ったりすることも出来なかったし、ちょっと大変だった。それは5日間くらいのこと」と振り返った。

会見前日の10月31日に、医師から「大丈夫、取って良いよ」と言われ、この日の会見で初めてテープを取った。「今日(手術後)初めて、お化粧して。経過的には問題はなく、良い状態で、テープも貼らずにしゃべっている」と笑みを浮かべた。

中島は囲みに応じる中で、基底細胞皮膚がんに2度、かかったのは顔の右側、視力が落ちているのも右目ということから、思い当たったことがあると語った。静岡県御殿場市に自宅と「キャシー中島 御殿場キルトミュージアム」を建て、東京と通う生活を送ってきたが「どうしてかなと話して気が付いたことは、御殿場から東京までいつも運転して帰る時、右ハンドルなので、いつも右側に日差しが当たっていた。紫外線って本当に悪いんだなと感じました。運転する時、ちゃんとカバーして欲しいし、サングラスもして欲しい。いろいろなことが分かった」と訴えた。