コメディアン、ぜんじろう(53)が20日に東京・下北沢の小劇場・楽園で開催される公演「スタンダップコメディGO! Vol.2」(午後6時30分開演)に出演する。他に清水宏(55)、ラサール石井(66)、インコさん(45)が出演する。90年代前半に「平成の明石家さんま」としてブレークした、ぜんじろう。スタンダップコメディーの旗手となるまでの歩みを聞いた。

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街角で声をかけたことから、上岡龍太郎の弟子になった。

「で、書いてもらったのが『弟子入り志願に来たあの時の“殺気”に満ちた目をいつまでも。大樹の陰には寄りつくな!長いものには巻かれるな!』という言葉。いつか落ちるんだよ、しばしの栄光に酔うんじゃない。君と僕は、弟子、師匠とずっと呼び合おうね、と。これを18歳の僕が、テレビに出るときにもらっているんです。殺気に満ちてたんだなと、あの目があったんやなと。便箋にボールペンで、さりげなく書いて渡してくれて。4年前に師匠に会った時、そのこと言ったら、『書いたかな?』って。覚えてへんやないか(笑い)。そして『大樹の陰に寄りつくなやろ。君寄りついてるやん』。『そんな大樹でもない』って。そんなことが言えるのが、僕はうれしかった」

上岡は、今から24年前の97年に20世紀での引退を宣言。00年に58歳で芸能界を引退した。

「上岡が引退してから、スピリチュアルな方が出てきた、占いとか。上岡は科学的で、占い師をぶった切ったりしていた。それでテレビ局がおかしくなりました。テレビ局が宗教を推薦しているのと同じ感じですから。占いを街中でやるのはいいですけど、放送局があれを放送しているのは、放送局じゃないですよ」

上岡龍太郎の弟子として、若くして売れっ子になった。吉本興業に所属して、88年に読売テレビ「気分はジャマイカ」のレギュラーに。若くして売れっ子になった。月亭かなめとの漫才コンビ、かなめ・ぜんじろうでは同年に今宮子供えびすマンザイ新人コンクールで福笑い賞を受賞。翌89年には「ABCお笑いグランプリ」最優秀新人賞、上方漫才大賞新人奨励賞を受賞した。

「親をだましてこの世界に入ったんで、大学の入学金返さなあかんっていうのがあって(笑い)。確かに若くして売れましたね。でも、相方が病気しちゃって、1人になった。そらもう悲惨なもんでした」

(続く)

◆ぜんじろう 1968年(昭43)1月30日、兵庫県姫路市生まれ。大阪芸大芸術学部デザイン学科中退。87年、上岡龍太郎に入門、吉本興業に所属。88年月亭かなめとの漫才コンビ、かなめ・ぜんじろう結成。同年、今宮子供えびすマンザイ新人コンクールで福笑い大賞。89年(平元)、ABCお笑いグランプリで最優秀新人賞、上方漫才大賞新人奨励賞も、解散してピン芸人に。92年、毎日放送「テレビのツボ」司会でブレーク。95年「超天才・たけしの元気が出るテレビ!!」。98年渡米。01年帰国。170センチ、57キロ