フリーキャスター丸岡いずみ(51)が約9年在籍した芸能事務所「ホリプロ」を7月下旬に退所し、さとう珠緒らが所属する「シンクバンク」に移籍した。8月からは通信制の高校「松実高等学園」の顧問に就任。本格的に仕事を再始動している。“心機一転”という現在の心境や今後の活動、4歳になった長男への思いなどを聞いた。【取材・構成=松本久】

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18年1月に代理母出産で長男が誕生してからは、丸岡は子育てを最優先して仕事をセーブしてきた。だが、長男のあるひと言がきっかけで、仕事を再開する決意をした。

「去年、息子が3歳の時に東日本大震災の取材をしている私の映像を家で一緒に見ていたんです。最初は『本当にママなの?』みたいな感じだったのが、ヘルメットに『いずみ』と書いてあるし、顔も私だから『本当にママなんだ』って分かった。いろいろな映像もあって、驚きもあったのでしょうが、最後に『ママが死ななくてよかった』って言ったんです。それを聞いて、前のお仕事に戻れるのなら、もう1回やりたいなって本当に思った。やりたいという気持ちが湧いてきました」と振り返った。そして「ママは自分だけのためでなく、誰かのためにも生きているんだという背中を息子に見せていきたいんです」と付け加えた。

再始動にあたって、「心機一転をしたい」と所属事務所を変更。8月に顧問に就任した松実高等学園では、学生や保護者らに記者経験を話したり話し方の講義などを行う。学園は不登校になった児童・生徒が多く在籍するが、丸岡は早大大学院で心理学を専攻し、カウンセラーの資格も持つだけに「それらを生かしたい」と意欲を見せている。

人生100年時代の折り返し点を過ぎたばかりの51歳。これまでの人生を振り返ってもらうと「波瀾(はらん)万丈で人生ぶれまくり。フラットな人生がうらやましい」と笑った。

関西学院大卒後に入った北海道文化放送では、アイドルとしてCDを発売し、失敗続きで「ビリアナ」のレッテルを貼られた。日本テレビ時代には報道記者として夜討ち朝駆けで働き、「情報ライブミヤネ屋」のニュースコーナーでMCの宮根誠司から「奇跡の38歳」のキャッチフレーズで美貌をいじられて大ブレーク。震災取材をきっかけにうつ病を発症し、克服した経験も持つ。

プライベートでは、映画コメンテーター有村昆との結婚と離婚を経験。長男の親権は有村が持ち、現在は週末に会う生活を送っている。

再婚への思いを聞いてみると「結婚は1度でいいと思っているし、息子がスクスクと成長してくれたらそれでいいです」と否定。子どもは「小さな恋人」だという。「『ママはピンクが好きだもんね』と言いながらピンク色のパッケージのチョコレートを選んだりして、ちょっと格好いいというかキュンってなる。ベランダにカラスが来て、私が『怖いんだよね』と言うと、あんなに小さい体で『あっち行け、あっち行け!』とやってくれる。本当にかわいいんです。優しくてドキドキしちゃう」。“恋人”と会える毎週末が待ち遠しいという。

健康には大いに自信があり、先日行った人間ドックはほとんどの数値がA評価。“奇跡の健康体”として医師から「50歳をすぎてすごいとほめられた」と明かす。

今後は事件事故のキャスターや情報番組のコメンテーターなどをメインに活動していくつもりだ。「奇跡の38歳」と呼ばれてから13年。親にもらった健康体とさまざまな経験を糧に「奇跡の51歳リスタート」をきった。

◆丸岡いずみ(まるおか・いずみ)1971年(昭46)8月6日、徳島県生まれ。関西学院大卒。94年に北海道文化放送にアナウンサーとして入社し99年に退社。フリーを経て01年4月に日本テレビ入社。報道局で警視庁などを担当し、「情報ライブミヤネ屋」などに出演した。12年に日本テレビを退社。翌年にホリプロに、現在はシンクバンクに所属。特技は水泳、書道。血液型O。