元プロレスラーで参議院議員も務めたアントニオ猪木さんが1日午前7時40分、自宅で心不全のため亡くなった。79歳だった。「BI砲」の名付け親、徳光和夫アナウンサー(81)が、悼むコメントを寄せた。

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54年前、プロレスを担当し、猪木さんのデビュー当時、馬場猪木の「BI砲」をネーミングしたのは私でした。

当時から、プロレスの技術に関しては卓越したモノがあり、すぐに魅了された。猪木寛至の出現には本当にビックリした。

公私にわたって、目をとじれば、思い出は尽きない。24時間テレビに登場した時、正直ショックを受けた。あの躍動感あった、恵まれたアスリートが、見たくない現実だった。なんともやるせない中で、「また会おう」と手を握り、「分かった」と握り返してくれた時の手の弱さに、元気になってほしい、また逢いたいと思った。

ゆえに、もしもの時があるかもとかられたが、まさか、1か月後に訪れるとは、心痛です。

心より、ご冥福をお祈りいたします。が、本心は悔しい。もう一度、逢いたかった。     徳光和夫