アルツハイマー型認知症を患っている歌手橋幸夫(82)の容体について1日、橋が所属する夢グループの石田重廣社長が明かした。
橋は再入院中で、石田社長は「僕の顔も忘れる。言葉も忘れる。ずっと寝ています」と語った。一方で「橋さんは生きています。脳以外はすごく元気です」とも語った。
橋の症状に関しては、歌詞を忘れるなどが続いたため、今年5月に石田社長が「中程度のアルツハイマー型認知症」であることを公表した。その後、一過性脳虚血発作で入院したが、6月上旬に退院し、ステージにも復帰していた。
最近まで橋を何度もインタビューし、取材してきた。言葉は明瞭で、しっかりと自分の考えを話した。
21年10月に、80歳の誕生日(23年5月3日)をもって歌手を引退すると発表した。理由は声帯の衰えで、60年以上歌謡界を支えてきたプライドが許さなかった。発表後にインタビューすると「(引退と言わず)ずっと歌っていない先輩もいる。僕は1つのけじめをつけたかった」と、確固たる信念を口にした。
健康には人一倍、気をつけてきた。05年に「盆ダンス」という曲を発表した。60代となり、ファンの健康も意識して、踊りに手のひらを握ったり開いたりするグーパー運動を取り入れた。79歳になった橋にあらためてこの歌のことを聞くと「パッと手を開くだけで、心臓から血が体中に行くんです。年を取ったから動かない、座っているだけ、歩かないでは病気になります」と話してくれた。
23年5月1日に、東京・浅草公会堂でラストコンサートを行い、63年の歌手生活にピリオドを打った。公約の80歳で引退まで残り2日だった。3階席まで満員だった。最後の「いつでも夢を」を歌う際「私の歌手生活が数分で終わろうとしています。一緒に歌ってください」と願った。大合唱となった。
終演に際し「素晴らしい人生をお送りください。ごきげんよう」とファンに別れを告げた。デビューから2万2948日目だった。
歌手引退から2カ月後の23年7月5日には、都内で初の書画個展を開催した。歌手から“文化人”となった第2の人生の始まりだった。「宙(そら)」をテーマに、数多くの書と絵画が展示された。
「宙」をテーマにしたことに「日本だけでなく、世界中が殺伐としている。地球が人間に何かを示唆しているのではと感じる。人間がもっと謙虚にならなければと思う。地球は宙、それを橋風に感じていただければ」と話した。そして「文化の薫りのする仕事、私だけが書ける書画の担い手になりたい」と話した。
24年4月15日に、歌手に復帰する会見を行った。引退からわずか1年での復帰だった。数多くのファンの「また歌声を聴きたい」という声に、「歌うことが(私の)一番の使命」と、復帰を決断した。
引退を発表した21年10月から、復帰会見を行った昨年4月までの約2年半。橋は取材やインタビューで、自らの言葉でしっかりと思いを伝えていた。回復を願うばかりである。【笹森文彦】



