「白いブランコ」「また君に恋してる」などのヒット曲で知られる兄弟デュオ、ビリー・バンバンの兄として、また弁舌爽やかな司会者として知られた菅原孝さんが、21年に及ぶ闘病生活の末、肺炎のため天国に旅立った。81歳だった。

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もともと孝さんも弟の進(78)も、90年に73歳で亡くなった作曲家浜口庫之助さんの弟子だった。先に音楽に目覚めたのは進で、孝さんは浜口さんの音楽理論や人柄に接して音楽にのめりこんだ。生前の孝さんは、週刊誌の取材に「浜口先生と会わなかったら今の僕はない」「いつも先生は『君たちは兄弟でやることに意味があるんだ』とおっしゃっていた。だから、僕はそれを守らなきゃって心の中でずっと思っていた」などと話している。

1969年(昭44)に「白いブランコ」でデビュー。72年の「さよならをするために」が80万枚のヒットになり、同年のNHK紅白歌合戦に初出場をした。だが、お互いの方向性の違いから76年にデュオを解散。進は音楽のソロ活動を行ったが、孝さんはテレビやラジオ、イベントなどの司会の道を選んだ。

ところが、84年にビリー・バンバン復活を求めるファンの声に背中を押される形で再結成をした。それ以降はソロ活動と平行をしながら、2人での活動も継続してきた。

転機は14年に訪れた。進に大腸がんが見つかり、その3カ月後の同7月に孝さんが脳出血で倒れて緊急入院。左半身にまひが残り、車いすの生活に。だが、懸命のリハビリを続けて11カ月後には活動を再開した。17年3月には「3年越しの45周年記念公演 兄と弟の復活祭」を実施。公演の最後では孝さんがステージ上で車いすから立ち上がり、その姿に客席から大きな拍手が沸き起こった。

生前の孝さんは「同じ病気をした人の中には話せなくなる人もいる。僕は神さまから話すこと、歌うことを許された。ステージに立つことで、病気や後遺症で悩んでいる人たちを元気づけたい」と話していた。その言葉を実践した人生だった。【松本久】