柄本明(77)が朗読劇「今は昔、栄養映画館」を引っ提げ、25年5月の1カ月間、日本各地の単館系の映画館を回り上演し続けた旅に密着したドキュメンタリー映画「今は昔、栄養映画館の旅」初日舞台あいさつが14日、東京・新文芸坐で行われた。同作で監督デビューを果たした竹田正明監督は、前日13日の第49回日本アカデミー賞授賞式で正賞13中10冠を獲得した「国宝」の李相日監督(52)らの元で25年、助監督を続けた苦労人で「自分が柄本さんの隣で壇上に立っているのが、すごい不思議です」などと感激した。
竹田監督は「25年、映画の助監督をしていまして。柄本さんとも映画の現場で何度か、ご一緒させていただきました」と自己紹介した。柄本が「李相日ね」と説明を加えると、同監督は「李さんの『悪人』(10年)や『怒り』(16年)。近年は『流浪の月』(22年)ですね」と「国宝」の前作まで、李組の一員を務めていたと明かした。
「今は昔、栄養映画館の旅」は、柄本が座長を務める劇団東京乾電池のアトリエで上演した、映画がテーマの作品。劇作家・竹内銃一郎氏の戯曲で、映画館で映画の完成セレモニーをセッティングして開始を待つ中、やり合う自称監督と助監督の掛け合いを描いた。30年以上前に1度、2人芝居で演じたことはあったが、アトリエ乾電池でここ3年以上、毎朝9時から行っている無料朗読会で一部を読み、好評だったため24年11月に全編を朗読劇として上演。同12月、25年1月と再演を重ねる中、観劇に訪れた脚本家の荒井晴彦氏(78)と話し「映画館で上演したら面白いのでは?」と言われ、映画館を回っての上演を着想した。
監督デビューは、荒井氏から24年4月に「柄本さんが、こういうのをやるから、お前、監督やらないか」と誘われて実現。柄本と話をして、すぐ旅に同行したという。25年4月21日付の日刊スポーツ芸能面で「14府県23館3200キロの旅」と旅の一報が報じられた際は、全国23館を回るスケジュールだったが、結果的に回った映画館は全国24館に及び、総移動距離は予定を800キロ超の4000キロを超えていたという。「1年前には、こういう場所に立つなんて全く想像していなかったので。うれしさもあるし、皆さんにどう届いたのかな? という気持ちもある」と率直な思いを明かした。
この日は、荒井氏から贈られたという「野菊の墓」(81年)、「Wの悲劇」(84年)で知られ、21年9月に83歳で亡くなった、映画監督の澤井信一郎さんのジャケットを着て登壇した。「澤井信一郎監督の遺品なんです」と明かすと、柄本は「うわぁ~大監督。すごい。澤井さん、連れてきたんだ」と感激。「竹田くんが、ロードムービーを見事の作ってくれたと思う。監督、ありがとうございました」と感謝すると、同監督は「監督と言われるのが、すごく違和感があります」と照れた。【村上幸将】



