人気グループ、クレージーキャッツのメンバーとして活躍した俳優桜井センリさん(本名・桜井千里=さくらい・せんり)が東京都新宿区の自宅で死去していたことが12日、分かった。86歳。病気による孤独死とみられる。女形ギャグが人気となり、殺虫剤CMのセリフ「ルーチョンキ」は流行語になった。高度経済成長期の日本を元気にした7人グループは、俳優犬塚弘(83)だけになった。葬儀は、遺族の希望で密葬で行われる。

 桜井さんは、ひっそりと天に召されていた。警視庁牛込署によると、近所の住民が10日から11日にかけて、桜井さん宅一軒家のポストに新聞がたまっていることや、窓が開いたままになっていることを不審に思い、11日午後8時18分に110番通報。同署員とこの住民が同8時23分に家に入ると、中で倒れている桜井さんを発見した。その後、検視担当署員らが死亡を確認した。

 死因は不明だが、同署によると、事件性はなく、病気などによる孤独死とみられる。桜井さんは1人暮らしで当時、家族らは家にいなかった。

 ロンドンで生まれ、3歳から東京で育った。早大在学中からジャズピアニストとして活躍し、60年からクレージーキャッツに加わった。日本テレビ系「シャボン玉ホリデー」などに出演し、小柄な体を生かし、かつらをかぶった女形ギャグで人気に。60~70年代にかけ大人気となったクレージーの力となった。

 俳優としても、「ニッポン無責任時代」(62年)や「日本一のホラ吹き男」(64年)など、クレージーやメンバー植木等さんの主演映画に多数出演。山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズには準レギュラー出演するなど、味のある名脇役として活躍した。

 66~71年にかけて放送された殺虫剤「キンチョール」のCMでは老女キャラ「センリばあさん」に扮(ふん)し、商品を逆さに持って「ルーチョンキ」とコメント。それが流行語になった。

 桜井さんも取材協力していたクレージーの本「ジ・オフィシャル・クレージーキャッツ・グラフィティ」によると、桜井さんは67年に結婚しているが、関係者の話を総合すると、子供はおらず、妻とも別れたとみられる。

 最後に公の場に姿を見せたのは10年11月11日、都内で行われた、同年9月に亡くなったクレージーのメンバー、谷啓さん(享年78)のお別れの会だった。桜井さんは、メンバーの俳優犬塚弘と肩を組んで取材に応じた。犬塚が、桜井さんに谷さんのギャグ「ガチョーン」をやるようにささやいたのか、桜井さんが「オレ、『ガチョーン』じゃないもん」と返し、笑いを誘う一幕もあった。

 最後の仕事は、06年に公開され、駅員役として出演した映画「待合室-Notebook

 of

 Life-」だった。

 ◆桜井(さくらい)センリ

 本名・桜井千里。1926年(大15)3月20日、ロンドン生まれ。早大第一政治経済学部中退。54年、フランキー堺さん率いるバンド、シティ・スリッカーズに加入。60年、病気休養した石橋エータローさんの代役としてクレージーキャッツに加わった。映画や、ドラマにも多数出演。96年、狭心症で入院した。

 ◆クレージーキャッツ

 1955年(昭30)に「キューバン・キャッツ」として結成。ハナ肇を中心に「ハナ肇とクレージーキャッツ」と活動してからはテレビバラエティー「おとなの漫画」「シャボン玉ホリデー」などが大ヒット。音楽とコメディーを組み合わせたスタイルは、ザ・ドリフターズなど多くのバンドに影響を与えた。61年「スーダラ節」、62年映画「ニッポン無責任時代」の主題歌「無責任一代男」で人気を不動にした。