<第65回NHK紅白歌合戦>◇12月31日◇NHKホール

 ストレスによる免疫力低下で10年10月から活動休止していた歌手中森明菜(49)が、4年5カ月ぶりに復帰した。明菜は企画枠で特別出演。滞在先の米国で元気に歌う姿が生中継された。国民的音楽番組で、「歌姫復活」ののろしを上げた。

 明菜が10年7月13日以来1632日ぶりに姿を見せた。紅白に登場したのは、終盤にさしかかった午後10時40分過ぎ。中継先はニューヨークのレコーディングスタジオだった。NHKホールのスクリーンに明菜の姿が映し出されると、会場から大きな拍手が起きた。

 耳にヘッドホンを着け、黒のレザージャケットに同色のパンツを合わせたカジュアルなスタイル。ロングヘアに真っ赤な口紅を引き、見た目は活動休止前と変わらなかった。紅組司会の吉高から呼び掛けられると、小さな声で話し始めた。

 「えーっと、日本も今、低気圧の影響でお天気が大変なようですが、こちらも結構寒くて。みなさんに少しでも温かさが届けばいいなと思いながら、歌わせていただきます。よろしくお願いいたします」

 時折、笑顔をのぞかせたが、長いブランクに加え、生放送の出演は約10年ぶりとあって、顔はこわばり、緊張は隠せなかった。

 一方で、ハスキーボイスは健在だった。本人が心配した高音も出ていた。出演時間は約5分。歌い終えると、小声で「ありがとうございました」と言いながら、ニッコリ笑ってVサインを決めた。関係者によると、紅白用の練習は行っていない。本番一発勝負で臨み、実力派歌手の実力と意地を見せつけた。

 歌ったのは、今月21日にCDリリースする5年4カ月ぶりのシングル曲「Rojo-Tierra-(ロホ

 ティエラ)」。現地にいたのはエンジニアを除き、数人のスタッフだけだった。派手な演出も一切なし。ストレスがかからない環境が用意された。

 人気は根強い。昨年8月にベストアルバム2枚をリリース。明菜本人がPR活動をしなくても、計25万枚を売り上げた。NHKは明菜の出場を強く望み、場所も楽曲も明菜側の希望に極力沿う形を取った。

 10月に渡米。今月28日にリリースする新カバーアルバム「歌姫4-My

 Eggs

 Benedict-」のレコーディングで、ラスベガスに長期滞在を続けている。関係者によると、明菜が紅白出演を決めたのは秋ごろ。渡米後に復帰への意欲が高まったとみられる。ボイストレーニングを行い、肌の手入れをより丁寧に行うなど、体調管理に努めてきた。

 今後の予定は未定だが、次のオリジナル作品を出したいと意欲的だという。まずは本格復帰への第1歩を踏み出した形だ。

 ◆中森明菜(なかもり・あきな)1965年(昭40)7月13日、東京生まれ。81年日本テレビ系「スター誕生」で優勝し、82年「スローモーション」でデビュー。「少女A」「セカンド・ラブ」などのヒット曲を出し、85年「ミ・アモーレ」、86年「DESIRE」で2年連続日本レコード大賞を受賞。聖子とともに日本歌謡界の隆盛をけん引した。90年代には連続ドラマに主演するなど、女優としても活動。一方でタバスコ依存、酒量の多さが話題になり、活動休止前から体調面が心配されてきた。

 ◆明菜と紅白

 初出場は、今年、審査員を務めるタモリが総合司会を務め、黒柳徹子が紅組司会を務めた83年。デビューの翌年だった。同期には早見優、松本伊代、堀ちえみ、小泉今日子、三田寛子、石川秀美らがいたが、出場したのは明菜と早見だけだった。その後、88年まで6年連続で出場。89年は落選。同年7月、近藤真彦の自宅で自殺未遂騒動を起こしていた。同年の大みそかには近藤が同席で謝罪会見を行い、紅白の裏番組として民放で中継。結果、紅白の平均視聴率は前年を約7ポイント下回った。90年はNHKからのオファーがあったとされるが辞退。その後、02年に、14年ぶり7回目の出場を果たし、「飾りじゃないのよ涙は」を披露した。