ロッテの益田直也投手(33)が「日本生命生命セ・パ交流戦」のDeNA戦で今季18セーブ目を挙げ、通算200セーブを達成した。プロ野球史上10人目で、球団としては228セーブの小林雅英以来2人目。672試合目での達成は史上最遅となった。

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野球の転機は大学時代だった。関西国際大の恩師、鈴木英之監督(56)は通算200セーブの偉業達成に「まさか、まさか、まさか。大学に入ってきた時のことを考えたら驚きですよね。プロ野球の大投手になるとは思いもしない。これだけ長く活躍し続けるのはたいしたもんですよ」。教え子の姿に感無量だ。

益田も「あの4年間は本当に楽しかった。いまでも会いたい監督と行きたい場所」と感謝の思いを口にする。

市和歌山商(現市和歌山)時代までは投手や遊撃などの控え選手だった。知人だった同校監督に頼まれ、鈴木氏は益田を受け入れたが「その学年で12、13人くらい投手がいたんですけれど、もちろん一番下ですよね」と懐かしむ。さらに高校時代には心臓の病も見つかり、片方の目の視力が落ちたこともあり「内野を守って顔にでも当たったら危ないので投手をしておいたらというレベル。当時は試合で投げられる投手になるなんて思ってもいなかったので。ケガなく4年間過ごしてくれたらと」。1度だけ、京都で行った立命館大とのオープン戦後、不整脈で救急搬送されたこともあったと言う。

「初めて投げているところを見たのは1年の秋くらいでした」と懐かしむ。コーチから「思っているより良い球投げますよ」と言われて「ほんまか? おうおうおう、ちょっとくらい使い物になるかもしれんな」と。2年春の大学選手権準決勝の法大戦に初抜てき。「連戦で投手が底をついたので、ほんなら益田いってこいと。神宮のスピードガンで147キロくらい投げて、みんな詰まっていた。そこからです。ビックリしました、あれは」。3年秋に背中を痛め、結果が出なかったことで、ドラフトイヤーに向けての意識が激変した。「目つき、顔つき、態度が変わった。『神宮で投げたのはまぐれやぞ、これがお前や。勘違いするな』と伝えたのも覚えています」。その冬がプロでの礎の1つだ。

その年はプロ希望が3人いたんですよ。「『すぐにクビになって路頭に迷うだけやから、社会人に行け~』って言ったんですけれど、大企業からオファーがあったのに益田だけは言うこと聞かなかったんです」。1年目から新人王を獲得する活躍には「『ごめんなさい。オレの目よりもスカウトさんたちの目が正しかった』と言ったのは覚えています」と笑う。

「走ることだけは超人的でしたね。長短両方めちゃくちゃ速かった。プロで長くやり続けられるかどうかは、走れるかどうか」。大金を稼いでも、成績を挙げても練習を怠らない姿勢もたたえる。19年にFA権を行使せず残留したチーム愛も誇らしく思っている。「まだまだ行くと思う。あと5年以上は投げられると思う。(同じく教え子の)大勢なんかはいまだに投げている時に見ていてドキドキしますけれど、益田はしません。仮に打たれたとしても年に何回は打たれるよねえって感じで」。

さらなる夢もある。「出来ることならロッテの監督をするくらいまで頑張ってほしい。ミスターロッテで」。最後にあらためて満面の笑みを浮かべた。「ちゃんとした立派な大人になった。人は成長するんや」。【鎌田直秀】

【動画】ロッテ益田直也通算200セーブ、672試合目で達成 投球でも焼き肉でも「炎上」厳禁

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