ハヤブサさんと話をしたのは、小橋建太氏の引退試合の日だった。ハヤブサさんは、小橋さんに請われ、引退試合の開会宣言をした。車椅子でリングから「お楽しみはこれからだ!」と絶叫し、日本武道館を埋めた観衆から大声援を浴びた。13年5月のことだった。

 ハヤブサさんは「ボク自身、小橋さんからもらったエネルギーを糧に復活を目指します」と力強く話していた。ガンや度重なる負傷から復活した小橋さんと、自らの境遇をだぶらせ、リング復帰へ向けての強い決意表明だった。

 その後もプロレスの会場で、姿を見かけた。頸椎(けいつい)損傷という大ケガから、リング復帰を目指し懸命にリハビリを続けていた。全身不随という絶望的な状況から、立ち上がって自力で歩くことができるまでに回復していた。そんなハヤブサさんが3日、くも膜下出血のため亡くなった。まだ、47歳という若さだった。肩書は最後まで現役プロレスラーのままだった。

 華麗な飛び技の名手だった。コーナーからリングを向いて前方に1回転半して相手をプレスするファイアーバード・スプラッシュや、さらに難易度の高いフェニックス・スプラッシュが得意技だった。運命を変えた大けがも、飛び技を繰り出すためロープに上ったところ、足を滑らせ落下したことが原因だった。

 飛び技は、軽量級のレスラーの代名詞で、その技は年々高度化しているように見える。今や、重量級のレスラーでも当たり前のように、飛び技を使用する。ハヤブサさんと同じ、フェニックス・スプラッシュの使い手、飯伏幸太は「飛び技は、会場のリングから遠いお客さんにも分かりやすいんです。プロレスをあまり知らない人にも、すごいと思ってもらえる」と飛び技の必要性を話していた。

 その飯伏でも、飛び技で肩を脱臼する大けがを負っている。恐怖心はないのか尋ねると「飛び技を出すときは、試合に集中して、ある意味ゾーンに入っている状態。恐怖心を感じたことはないですね」との答えが返ってきた。

 お客さんを喜ばせようという思いが、恐怖心にうち勝つのだろうと思う。それでも、プロレスにケガはつきものだ。新日本のエース棚橋弘至は「いつケガや事故で自分がどうなるか分からない。だから、1日1日、その日その日の試合を大切に戦う。どんなに忙しくても練習する」と話していた。

 プロレスの会場は、選手と観衆が一体になったときに大いに盛り上がる。ファンの大歓声に後押しされるように、レスラーは大技を繰り出す。どんなに疲れていても、相手の技でダメージを受けていても、最後の力を振り絞ってフィニッシュに持っていく。最後の技が決まったときの爽快感が、ファンを熱狂させる。それがプロレスだ。ハヤブサさんも、プロレスが大好きだった。【プロレス担当=桝田朗】