プロボクシングの元世界ヘビー級王者ムハマド・アリ氏が3日(日本時間4日)、入院していた米アリゾナ州フェニックスの病院で亡くなった。74歳だった。

 1964年2月25日。アリがヘビー級の歴史を変えた日である。史上最強の強打者といわれた世界王者リストンに、プロ20戦目、22歳のアリは「蝶のように舞い、蜂のように刺す」とほえた。それでも賭け率は1対8で圧倒的に不利。ところがアリはリングの上で公言通り、リストンの強打を華麗なフットワークで空転させ続け、一瞬のカウンターで仕留めたのだ。大男たちの力ずくの殴り合いが最大の魅力でもあったヘビー級のボクシングを根底から覆したのである。

 もともとアリはアマチュア時代に2階級下(当時)のミドル級で全米を制している。金メダルを獲得した60年のローマ五輪はライトヘビー級だった。プロ入り後、ヘビー級に階級を上げた。しかし、彼は自らの戦い方をヘビー級モデルには変えず、ミドル級時代のスピードを身上とするアウトボクシングを貫いた。相手はアリの速さについていけず、アリにはヘビー級のパンチが遅すぎた。相手が繰り出す強打に、いとも簡単にカウンターを合わせた。

 アリにはもう1つ特筆すべき武器があった。それは心身のタフネスである。王座初獲得から10年後の74年10月30日、ザイール(現コンゴ)のキンシャサで40戦全勝37KOと歴代のヘビー級王者で最高のKO率を誇る王者フォアマンに挑んだ。32歳の元王者に往年のスピードはない。ロープを背負い、亀のようなガードで強打を耐え抜いた。王者のスタミナを喪失させて8回逆転KO勝利を収め「キンシャサの奇跡」と呼ばれた。ガードの上からでも倒れるといわれたフォアマンの豪打を無数に浴びてもなお勝機を探る不撓(ふとう)の肉体と精神があった。

 世界王者に返り咲いたアリは、勝負強さと巧みな技術、タフネスを武器に、10度の防衛に成功して、伝説となる。しかし、引退から3年後の84年、神経まひと筋肉硬直を伴う「パーキンソン病」と診断される。主治医は「明白なパンチ後遺症で進行性」と見解を述べた。無類の勝負強さとタフネスは、自らの体もむしばんでいた。