“待望の春”のはずだった。ロッテの佐々木朗希のプロ野球デビューに、MLBエンゼルス大谷翔平の二刀流復活。53歳になったカズのJ1復帰に、ボクシングの井上尚弥のラスベガス統一戦……待ちわびていた夢舞台はすべてお預け。何だかスポーツ欠乏症になりそうだ。新型コロナウイルスが恨めしい。

スポーツが豊かな生活を送るための、欠かせない栄養素になっていたことにあらためて気づかされた。思えば、仕事に疲弊したあの日々、イチローのヒットにどんなに癒やされたことだろう。東日本大震災が起きた2011年、なでしこジャパンのW杯優勝の快挙は、久しぶりに明るい光となって日本を照らし、列島を幸福な空気に包んだ。

人は暗い世相や苦しい時代にこそ、スポーツや娯楽を求める性質がある。終戦の1945年、日本中に焼け野原が広がり、人々は衣食住を確保して生きるのが精いっぱいだった。にもかかわらず、再開されたスポーツに大衆が殺到した。同年11月、神宮球場で行われたプロ野球東西対抗戦には、1万人の大観衆が詰め掛けた。

手前みそになるが、終戦半年後の46年3月に創刊された日刊スポーツは発売と同時に売り切れた。1部50銭は当時の国立博物館の観覧料と同じ価格。決して安くはなかったが、4ページすべてスポーツと芸能記事で埋め尽くされた日本最初のスポーツ新聞は売れに売れ、雑誌と抱き合わせでなければ売らないという売店が続出した。人は過酷な日常が長く続くほど、感動と笑いを渇望するのだ。

東日本大震災の直後、スポーツイベントが次々に中止された。「有事にスポーツは役に立たないのか」。多くのスポーツ人は悩んだ。しかし、震災からほどなく、アスリートが被災地を慰問すると非難生活を余儀なくされた人々が殺到した。震災1カ月後、カズが訪れた岩手・盛岡市の競技場は1万3500人であふれた。“スポーツの力”の大きさに驚かされた。

新型コロナウイルスにスポーツが奪われ、アスリートたちは無力さを感じているかもしれない。試合ができない。練習する場所もない。耐え忍ぶしかない辛い時間。でも朝の来ない夜はないのだ。箱根駅伝の優勝監督でもある山梨学院大の上田誠仁氏のこんな言葉を思い出した。「何もできない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ」。今はしっかりと力を蓄える時。新型コロナウイルスが終息した時、人々の心と体は疲弊し切っているだろう。その時こそ、スポーツの出番なのだ。【首藤正徳】