現役最後のレースとなった大迫傑(30=ナイキ)は、2時間10分41秒で今大会の日本勢最高となる6位入賞を果たした。日本男子の五輪入賞は12年ロンドン五輪6位の中本健太郎以来9年ぶりとなった。

スタートから先頭集団を走り続けたが、30キロすぎに遅れはじめた。35キロ地点では8番目で、トップ集団と一時50秒以上の差がついたが、粘り強く追い上げて、6位まで浮上した。「最後きつくて6番にあがったところ前を追ってみたのですけど、15秒くらいかな。ラップが縮まらなかったので、ヘタに3番以外を狙ってしまうと大きな崩れがあるので、体と相談しながら走った。最後は確実に6番で粘り切ろうと思って走り切りました。100点満点の頑張りができたかな」と大迫は充実した表情でレ-スを振り返った。

アナウンサーに競技生活最後のレースと聞かれると「本当にまっすぐ進んできた。競技以外でもまっすぐに進んでいきたいと思いますと」と話した後、タオルで顔を覆っておえつをもらした。「しっかりと次の世代につなげるように、まだまだ陸上界にかかわっていきたいので、しっかりと引き続きまっすぐ進んでいきたいと思います。次の世代の人が頑張れば、6番というところからメダル争いに絡めると思う。次は後輩たちの番だと思います」と声を絞り出した。

18年10月シカゴで2時間5分50秒をマークし、16年ぶりに日本記録を塗り替えた。20年3月東京では2時間5分29秒に更新して東京五輪の出場切符を勝ち取った。その後、日本記録は鈴木健吾(26=富士通)に破られたとはいえ2度の日本新を樹立し、日本マラソン界をけん引してきた。3000メートルと5000メートルの日本記録保持者でもある。

佐久長聖高時代から駅伝で活躍。早大に進むと、箱根駅伝で2回の区間賞を獲得した。箱根にデビューした時から、「箱根は世界への通過点」と言ってはばからなかった。早大在学時から海外で練習を行ったり、実業団をわずか1年で辞めてプロランナーに転向するなど、常に速く、強くなることを考え、走り続けてきた。

SNSでの引退表明後、初めて報道対応した4日には、「いろいろな感情があるなかで、(自分を)客観視して見られているかなと思う。冷静な気持ちで、いつも通り残りの日を過ごしていきたい」と話していた。平常心を胸に、堂々たるラストランを披露した。

◆大迫傑(おおさこ・すぐる)1991年(平3)5月23日、東京都町田市生まれ。東京・金井中-長野・佐久長聖高-早大-日清食品グループを経て、ナイキ・オレゴンプロジェクトへ。3000メートルは7分40秒09、5000メートルは13分8秒40の日本記録保持者。マラソンの自己ベスト2時間5分29秒は日本歴代2位。170センチ、52キロ。