侍ジャパンが、悲願の金メダルに王手をかけた。宿敵韓国を5-2で下し、銀メダルを獲得した96年アトランタ大会以来、25年ぶりの決勝進出を決めた。

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韓国相手に動じることのない、侍の勇姿が稲葉監督の脳裏に新たに焼きついた。決勝進出を決めた瞬間、込み上げる感情を抑え込むように下を向いた。「重たい空気というか、どっちに転ぶか分からない流れの中で、みんな耐えて最後勝ち越せた。よく粘ってくれたと思う」。歴史の壁を乗り越えた選手をたたえた。

13年前の記憶は途絶えたままだ。08年北京五輪の準決勝韓国戦。金メダルの夢がついえた衝撃でメモリーが飛んだ。

「僕の頭上を飛んでいった李承■(■は火ヘンに華)のホームランのシーン、それを韓国ベンチがすごく喜んでいたシーン、最後の打球をライトが捕った(拝むようにしゃがんだ)シーン。自分がどういうプレー、どう打ったかは全然覚えていない。あの五輪は、3つのシーンしか思い出せない」

月日が流れ、代表監督に就任した。世界一に輝いたプレミア12を含めて試合前まで韓国戦は4戦全勝。だが事あるごとに繰り返す。「北京の借りは五輪でしか返せない」。13年ぶりのリマッチ。前日は「私の中では特別ではあるが、試合の中で特別なことはしようと思っていない。これまで同様に、選手全員で結束して、その一戦を取りに行くことをしっかり考える」と冷静と情熱の間を貫いた。

スタメンには菊池涼に代わり、近藤を7番左翼手で起用。捕手以外の野手を代えたのは今大会初だった。技巧派サイドスローの高永表対策として左打者4人を並べた。18・44メートルの奥行きを揺さぶる一級品のチェンジアップを攻略するための決断。3連勝中のオーダーを“特別なことではなく”果敢に動かした。1回終了後には山本のためにマウンドの修正を球審へ働き掛けた。好調な山田、坂本にも犠打を指令。目的のためにブレはなかった。

プレミア12の決勝韓国戦のビデオが自宅にある。大会直後に7歳の長男が「パパ、韓国戦のビデオ見ようよ」と、せがんできたという。「すごく野球に興味を持ってきてくれた。(同戦は)私の息子には影響があった」。ライバルに5連勝を収め、苦しかった思い出はさらにセピア色に薄まっていく。「最後の最後まで気を抜いてはいけない。最後の最後まで勝って兜(かぶと)の緒を締める。金メダルを取るまでは、休まることはない」。過去には一区切り。黄金色の未来をつかむ。【広重竜太郎】

〇…稲葉監督は「ONパワー」にも感謝した。韓国戦の試合前、巨人終身名誉監督の長嶋茂雄氏から「頑張ってくれ」と激励の電話をもらい、気合を入れ直したという。長嶋氏は04年アテネ五輪で代表監督として指揮を執るはずだったが、同年3月に脳梗塞で倒れ、念願の舞台に立てなかった。今五輪では1次リーグ2戦目の7月31日メキシコ戦も横浜スタジアムで視察。この日はソフトバンク球団会長の王貞治氏も勝利の瞬間にチームを出迎えた。

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