東京五輪の侍ジャパン内定を負傷辞退した広島会沢翼捕手(33)が7日、悲願の金メダルに歓喜した。19年秋の「プレミア12」で苦楽を共にした稲葉監督、仲間への思いとは。指揮官との秘話も振り返りながら、偽らざる本心を明かした。

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滴る汗を拭いながら、悲運の男は苦笑いした。

「人生、うまくいかんもんすね…」

東京五輪決勝前日の8月6日。会沢は観光地の宮島からほど近い広島2軍大野練習場でリハビリに尽力していた。

日本に初めて原爆が投下された日。真夏の太陽が半旗を照らす中、元侍ジャパン戦士は「でもね」と偽らざる本音を切り出した。

「稲葉さんにはどうしても金メダルを取ってもらいたい。男にしたい。そう思わせてくれる監督なので」

1年9カ月前。会沢は台湾で火鍋をつつきながら、東京五輪に懸ける情熱を熱弁していた。

「絶対に出たい。何十年が過ぎても歴史に名が残る訳ですから。そんな名誉なこと、なかなかないじゃないですか」

19年秋の「プレミア12」は正捕手格で世界一に貢献。新型コロナウイルスの猛威で五輪が1年延期されても、日本代表首脳陣の信頼が揺らぐことはなかった。

だが、運命はあまりに残酷だった。五輪内定メンバー発表の前日、6月15日。西武戦の挟殺プレー中に左足を痛めた。左下腿(かたい)腓腹筋(ひふくきん)挫傷。重傷だった。

可能性に懸けたい気持ちがなかったといえばウソになる。ただ、決断を引き延ばして迷惑をかけたくはなかった。五輪内定の翌17日、稲葉監督に連絡した。

「翼の野球人生は五輪で終わりじゃない。まだ先がある。だから、しっかり治してほしい」

その言葉に救われた。

会沢には胸に刻み込んだ記憶がある。「プレミア12」の途中、日本と台湾を往復した機内の席割りだ。選手はビジネスクラス。稲葉監督ら首脳陣はエコノミー。「オレたちはいいから」。心の底から驚いた。

「あれは誰にでも出来ることじゃない。僕以外の選手もグッと来たと思う」

そんなチームだから、代表から外れてからも勝ってほしいと素直に願えた。

「もちろん出たかったし悔しい。この感情とはちゃんと向き合うつもりです。でも、今は日本が強い野球を見せてくれてうれしい」

19年秋、身を粉にしてナインを結束に導いた。東京五輪でも一体感が継承されていた事実に、何より心を震わされた。

「最後まで諦めない姿勢がすごかった。勝ちたい。金メダルを取りたい。みんなが同じ方向に向いていた。みんながキャプテンとなって引っ張っていた」

大リーグに舞台を移した者、落選に涙をのんだ者、負傷辞退を余儀なくされた者…。金メダルは稲葉ジャパンに携わった全員の結晶に違いない。

「プレミア12」では台湾の決起集会から始まった会沢発案の儀式があった。シャンパンファイトの最後、首脳陣、選手、スタッフは再び全員で手をつないで一体感を確かめ合った。

「今回も手、つないだりするんですかね。金メダル、感動しました。他に言葉が見当たりません」

歓喜の夜。横浜、広島の700キロ近い距離を、侍ジャパンの魂は勢いよく飛び越えた。【佐井陽介】