開催国枠で45年ぶりに出場した世界ランキング42位の日本は、同4位で19年ワールドカップ準優勝のアルゼンチンに77-97で敗れ、1次リーグ3連敗で大会を終えた。

全3試合に出場した富樫勇樹(28=千葉ジェッツ)は、3試合で合計19点を挙げるなど、身長167センチながら存在感を示した。

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五輪デビューを果たした初戦のスペイン戦直後に、富樫は「長く夢見てきた舞台でプレーできたことに感謝したい」と実感を込めた。

14-15年シーズンは米国でプレー。翌シーズンも海外チームに所属する選択肢もあった中で、最終的には「東京五輪に出場するため」に日本に戻ることを決意した。当時は2つのリーグに分裂していた日本バスケ界。元所属先のbjリーグ秋田ノーザンハピネッツのほか、NBLでは千葉、そして強豪のトヨタ自動車(現アルバルク東京)からオファーを受けた。その中で、条件面にこだわることなく千葉を選択。富樫の代理人を長らく務める鴨志田聡氏は、「ビジョンを明確に持ったうえで、中長期的な視点から富樫自身が決断した」と明かす。その後、富樫は伸び盛りのチームをけん引。昨季はBリーグ初優勝に導き、日本代表の一員としても存在感を発揮した。

富樫が初めて日本代表に招集された6、7年前の日本代表はまだステータスが低く、代表選手らのモチベーションは決して高くなかったという。鴨志田氏によれば、富樫は「そうした状況をなんとか打開したい」と発奮。日本代表を勝たせる選手になるべく練習に励んだ。アジアレベルでも苦戦が続いたチームはその後、着実な成長曲線を描いてきた。45年ぶりに出場した大舞台は日本にとって、世界の壁を改めて実感すると同時に、その差が少しずつ縮まっていることを感じられる場所にもなった。来る次のステージへ、小柄な司令塔の挑戦は終わらない。【奥岡幹浩】