入江聖奈(20=日体大)が決勝で19年世界選手権覇者のネストイ・ペテシオ(フィリピン)に5-0で判定勝ちし、日本勢では64年東京の桜井孝雄、12年ロンドンの村田諒太に続く3人目の金メダリストになった。

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入江が初の金メダルをもたらした鳥取県は、ボクシングの土壌が豊かだったわけではない。昨年から日本代表の女子強化委員長を務める伊田武志会長(55)は、入江が小2で入門した時を同じくして、改革計画を実行に移した。「全然ボクシングはダメで、いつもぐちぐち言っているのではなく、私たちの指導方法も変えようと」。人口も選手も少ない中で、指導者仲間と模索した。熱を入れたのがジュニア層の育成だった。

「五輪選手を作る」。夢のまた夢の目標を掲げ、ただ真剣だった。アイデアもあった。それまで教えていたのは、自分のコーチのさらにコーチに教わった練習方法。「50年前の教えですよね。おかしいと」。根性がない、打たれ弱い、筋力が少ないと嘆く周囲に「その代わり、手足が長い、顔が小さい、運動センス、リズムが良い」と説いた。

努力と根性を辞めた。理論的に考えた。例えば首を鍛えること。「鍛えても僕らはダウンしていた。ナンセンス」。外車はバンパーを大きくして衝撃を受け止めるが、中の人間は揺れてけがする。逆にトヨタは周りが壊れる代わりに中の人間は衝撃がない。「力が逃げてダウンしない」。一切首を鍛える練習はやめた。

「○○カエル作戦」などユニークな教えが目を引くが、その裏には長年の独自の計画があった。入江は記者会見で伊田会長について聞かれると、「反抗期もそのままぶつけたり、第2の親みたいで、失礼な態度を取った時もあったけど、最後まで自分のために動いてくれた」と感謝した。【阿部健吾】