初出場の田中亮明(27=岐阜・中京高教)が銅メダルを獲得した。準決勝で19年世界選手権5位のカルロ・パーラム(フィリピン)に0-5の判定で敗れたが、3位決定戦はなく表彰台を決めた。男子のメダル獲得は12年ロンドンの村田諒太、清水聡以来6人目となった。

ここまで3連続でリオ五輪メダリストを撃破する快進撃だった。準々決勝ではライトフライ級銀メダルのマルティネス(コロンビア)に4-1の判定で勝った。試合直後には酸欠状態になり、車いすで医務室に運ばれた。「限界を超えた」激闘で、日本勢61年ぶりのメダルを確定させていた。

試合後に言ったのは「倒すつもりでやっていたので、なかなか倒れなくて、次は倒します」。心を占めているのは、勝敗ではなく「かっこいい試合をできるかどうか」。それがファイトスタイルの変化に現れている。コロナ禍の1年延期中に通ったのは、弟で3階級制覇の世界王者の恒成(26)と、そのトレーナーを務める斉さんの拠点のジム。

「自分が目立った成績出せてなくて、弟の七光で目立たせてもらっていた」と複雑な感情から、積極的にかかわろうとはしてこなかった。ただ、五輪代表に内定し、その舞台で見せたいものがあった。そのために決断した。従来のカウンター狙いから積極的に前に出る戦法にシフトチェンジしていた。