予選首位通過の橋本大輝(19=順大)が、日本勢同種目初となる10代で金メダルを獲得した。88・465点を記録し、12年ロンドン、16年リオデジャネイロ五輪金メダルの内村航平と合わせて日本勢3連覇。競技別最多となる五輪通算100個目のメダルを、最高の形で飾った。

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橋本は3位で最後の鉄棒へと歩を進めた。首位の肖若騰(中国)とは0・467点差。肖も鉄棒で完成度の高さを示し、最終演技の橋本には重圧がかかった。

目をつぶり、うなずいて、鉄棒をつかんだ。

高まる緊張感の中、1つ1つの技を決めていった。空中に体を投げ出し、着地すると、勝利を確信したかのように両手をたたいた。

1種目目の床運動、続くあん馬で首位に立ち、5種目目の平行棒で着地をきっちりと決めると、ガッツポーズが出た。鍛錬の成果を演技で示し、最終種目の鉄棒へ、流れを作り上げた。

「廃校」で育った。体操を始めた佐原ジュニアは、千葉県香取市の山あいにある沢小学校の体育館に器具を置く。子どもの数が減り、廃校となった場所に、子どもが集う。その数は今も変わらず、毎年10人ほど。落下の衝撃を和らげるクッションが詰まった「ピット」もない環境だったが、2人の兄と毎日練習に励んだ。限られた設備でも、体操の楽しみは増すばかりだった。

男兄弟がそろえばケンカはつき物。ささいなことでいざこざが始まると、山岸監督から「邪魔だから倒立しとけ」と言われるのが日常。時には3人で1時間に及ぶこともあった。「足先伸ばせ、つま先伸ばせ」。そんな恩師の言葉は今でも耳に残る。世界でも評価される美しい体操の原点だ。

徹底した基礎の毎日は、やがて花開く日への準備だった。中3の全国大会では骨折の影響で2種目しか出られず107位の最下位だった無名の男は、市立船橋高で一気に頭角を現した。高校随一の充実した施設で、乾いた砂が水を吸収するように技を会得し続けた。支えたのは廃校の限られた器具で繰り返した反復練習だった。「あそこで培ってきたものがいまの自分の完成度につながってきている」。異色の経歴は、いまは誇りだ。

吸収力はコロナ禍の1年でも変わらなかった。跳馬の最高難度ヨネクラや鉄棒の連続離れ技など、6種目合計の難度は世界最高レベルに。世界で競技が止まる中で、ぐんぐんと水を得た。4月の全日本選手権で初優勝。一気に日本体操界の中心に登り詰めた。

24日の予選で個人総合首位通過を決めた後に「世界に強さを知らしめたい」と堂々と言い放った。内村航平は「もう俺は必要ない」と団体戦を戦う4人を見て安堵(あんど)の元に言った。送った視線の中心にいたのは橋本だった。

この日、体操ニッポンが誇る新たな「キング」が誕生した。