男子種目別決勝のあん馬で、初出場の萱和磨(24=セントラルスポーツ)が14・900点をマークし、銅メダルを獲得した。難度を上げた構成を攻め抜き、団体総合の銀に続く、個人でもメダルをつかんだ。あん馬の日本勢では04年アテネ五輪銅メダルの鹿島丈博以来4大会ぶりの表彰台。予選2位の亀山耕平(32=徳洲会)は演技の乱れが響き、14・600点で5位だった。

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今大会11演技目の終わりも、萱はそれまでと同じように雄たけびを上げた。「おっしゃーー!」。予選7位通過。周囲のレベルの高さは感じていた。だから他選手の得点は気にしなかった。ただ、勝負に出た構成を通すことに集中した。

わずかな乱れが落下につながる種目で予選、団体総合決勝で実施しなかったF難度の大技「ブスナリ」を冒頭に組み込んだ。「(団体決勝後の)5日間で通し練習は2回だけ」。それまでやったことがない「秘密兵器」を入れた構成で、攻めにいった。

「『失敗しない男』と呼ばれますけど、ただ失敗しないだけならいらない」。期するものがあった。抜群の安定感から代表の主力になって付いたニックネームだが、「金メダルを狙って失敗しないのが目指しているところ」。予選の結果でも、金はあきらめない。失敗を恐れるのではなく、攻めるのは当たり前だった。

そして、勝負に勝った。予選上位が落下などで崩れる中、それは「失敗しない男」の真骨頂とも言える逆転劇だった。攻めに出て失敗しない、それを実現させたご褒美のようだった。「諦めなければ絶対に何か起きると信じて挑み、自分の演技ができた」と銅メダルをたぐり寄せた。

16年リオデジャネイロ五輪では補欠だった男は、足先の乱れなど弱点を見直す地道な練習を積み、5年後にメダルを手にした。そして、次は3年後。「今日がパリに向けてのスタート」。もう、ただの「失敗しない男」ではない。【阿部健吾】

◆萱和磨(かや・かずま)1996年(平8)11月19日、東京・立川市生まれ。小2の時、04年アテネ五輪の団体金メダルを見て体操を始め、千葉・幕張西中で全国7位。習志野高では高校選抜と全日本ジュニアの個人総合で優勝した。順大からセントラルスポーツへ入社。世界選手権は15年団体総合金、あん馬同、18年団体総合銅、19年団体総合銅、平行棒銅。163センチ、52キロ。