18年世界選手権女子78キロ級覇者で初出場の濱田尚里(しょうり、30=自衛隊)が金メダルを獲得した。決勝では19年世界選手権優勝のマロンガ(フランス)を69秒で秒殺。最後は得意の寝技に持ち込み、崩れ上四方固めで一本勝ちを収めた。日本代表ただ1人の30代で、同階級の優勝は04年アテネ五輪の阿武教子以来。今大会で日本女子は3階級目の金メダルとなった。遅咲きの努力家が、大輪の花を咲かせた。

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勝負が決まっても笑顔はない。浜田は一礼し、淡々とした表情で畳を下りた。塚田コーチと抱き合うと、涙があふれた。決勝の相手は19年世界選手権東京大会決勝で敗れたマロンガ。2年前と同じ日本武道館で宿敵を撃破し、喜びがこみ上げた。

「集中して『絶対に金メダル』という気持ちで戦った。勝てない時期もあったけど、1年1年力を積み上げて最後は得意の寝技で勝てて良かった」

大金晩成だ。寝技の原点は無名だった鹿児島南高時代にあった。吉村智之監督(45)が「地方高校が全国で勝つ手段」として寝技に活路を見いだした。寝技と立ち技の稽古は7対3。他校とは比率が逆転するほどの稽古量だった。「覚えは悪かったけど、弱音を吐かずにコツコツ亀のように覚えるまでやっていた」と恩師は述懐する。

寝技で勝つと喜びも大きく、さらに研究と稽古に励んだ。着実に実力をつけて高2の新人戦で九州大会初優勝。その翌日から、吉村監督に提出していた「柔道ノート」に、なぜか「目標欄」のみ空白で出す日が続いた。「次は日本一じゃないのか?」と問うと、「分かりません」と返した。空白がなくなったのは、それから1週間後。そこには、こう記されていた。

「日本一」-。

有言実行のタイプで、本当になれるか、慎重に考えていた。

高3で全国2位に入ったが「五輪」の文字は頭になかった。山梨学院大4年時に柔道の幅を広げるためにロシア発祥の格闘技「サンボ」を始め、14年世界選手権を制して才能は開花。18年に柔道の世界女王となり、東京五輪を目指すことを決意した。海外勢に「あり地獄」と恐れられる寝技を生かすために、立ち技も磨き進化を追求した。

今年4月の国際大会をオール一本勝ちし、五輪前の最終戦を締めた。吉村監督は「ベテランらしい、安定した勝ち方でしたね」とメッセージを送信すると、不満げな返信が届いた。

「ベテラン感出ていますか? まだまだ強くなるので見ていてください」

柔道日本最年長、30歳の遅咲きの寝技職人が獲得した有言実行の金メダル。己を信じ、一歩一歩歩んできた道のりが正しいことを証明した。【峯岸佑樹】