男子100キロ級で初出場のウルフ・アロン(25=了徳寺大職)が、涙の金メダルを獲得した。決勝で趙グハム(韓国)に延長の末に一本勝ち。同級優勝は00年シドニー五輪金メダルの井上康生(現男子代表監督)以来、5大会ぶり。17年世界選手権、19年全日本選手権に加えて五輪も制覇し、日本柔道8人目となる「3冠王」となった。競技6日目を終えて、日本男子5つの金メダルは史上最多となった。

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ついに、この日が来た。勝負が決まった瞬間、ウルフは両手をつきあげた。ほえた。

「最後まで持ち味の泥臭い柔道を貫き、勝てて良かった…。子供の頃から目標だった東京五輪で優勝できて感慨深い。こみ上げてくるものがあり、うまく言葉にできない」

地元東京でつかんだ金メダル。涙と笑顔が交じった、くしゃくしゃな顔でそう振り返った。

決勝は9分35秒の死闘。最後は得意の大内刈りで一本。我慢の柔道を貫いた。完璧だった。

「夢は大きく、目標は身近に」-。

6歳から柔道を始めた時から、この言葉を胸に柔の道を歩んできた。それから19年。3冠王で尊敬していた男子代表重量級担当の鈴木桂治コーチと初の夢舞台で“共演”することになった。「運命かもしれない」。小学生の時に日本武道館で撮影した2ショット写真は、今もスマートフォンに残してある。

一緒に戦いたい-。

中2の時に書いた作文には、10年後の自分に向けたメッセージを書いた。タイトルは「中学二年の夏に思うこと」。国際試合で鈴木が投げたはずが、相手に返されて敗れた。その瞬間、柔道ではなく「JUDO」に感じた。「僕は僕の信じる柔道を続ける」。その先に夢の3冠王がある。そう心に決めた。

「夢への近道はない。こつこつと努力をかさねた先に、僕の思い描いている夢があるはずだ。努力は裏切らないと信じている。夢に向かって1つ1つ小さな目標を達成していけばその夢はかなうはずだ。これを読んでいる10年後の僕の価値観と今の僕の価値観が同じであってほしい」(文中より)

この作文の通り、1つ1つの目標を達成した。2度の膝の大けがも乗り越え、痛み止めを打ちながらこの日を迎えた。最後は尊敬する鈴木コーチと抱き合って、涙ながらに感謝を伝えた。

「これで日本柔道の歴史に名を刻めた。達成できて、柔道人生で努力してものが報われた」

8人目となる3冠王の偉業達成。25歳の五輪王者は涙が止まらなかった。【峯岸佑樹】

◆ウルフ・アロン 1996年(平8)2月25日、東京都・新小岩生まれ。日本の大学で英語講師を務める米国人の父ジェームスさんと日本人の母美香子さんの間に生まれる。6歳の時、祖父の勧めで講道館にある春日クラブで柔道を開始。千葉・東海大浦安高-東海大-了徳寺大職。高校時代には団体戦で全国高校選手権、金鷲旗、高校総体の3冠を達成した。17年世界選手権優勝。18、19年世界選手権3位。19年12月に右膝半月板を損傷し手術を受けた。世界ランキング5位。左組み。得意技は大内刈りと内股。趣味は料理。181センチ。