「前畑ガンバレ!」「東洋の魔女」「バサロスタート」「今まで生きてきて」「すごく楽しい42キロ」「チョー、気持ちいい」…。五輪の思い出は金メダルとともに語り継がれます。1912年の初参加以来、日本の夏季大会金メダルは142個。第1号は28年アムステルダム大会陸上男子3段跳びの織田幹雄でした。

今年5月13日、出生地の広島・海田町に「織田幹雄記念館」がオープンしました。同町の複合施設「織田幹雄スクエア」の2階が記念館。五輪の賞状、世界記録を樹立したスパイク、練習ノートなどが展示されているほか、金メダル記録を体感できるギャラリー、シアターなどもあります。

金メダル獲得から90年以上たって「記念館」ができた背景には、東京五輪があります。老朽化した公民館の新築に合わせ、遺品などを紹介する施設を計画。支援を募ったクラウドファンディングでは「2020年を海田町から盛り上げたい」と呼びかけました。

同館は東京五輪の聖火リレーの出発予定地にもなっています。本来なら5月のリレー直前の4月に開館。ギリギリ間に合わせる感じでしたが、新型コロナの影響で大会は1年延期。聖火リレーも1年後になりましたが、小谷幸子館長は「前向きにとらえ、1年で織田さんのことを広く伝えられれば」と話しています。

その偉業は今も有形無形に引き継がれています。毎年広島で行われる「織田記念陸上競技大会」、64年東京パラリンピックのメイン会場になった「織田フィールド」、母校早大の「織田記念陸上競技場」…。有名なのは、旧国立競技場トラック内の「織田ポール」。金メダル記録と同じ15メートル21センチの国旗掲揚塔で、現在は東京・西が丘に移設されています。サッカー観戦などで「じゃまだな」と思ったこともありますが、64年東京五輪から長く名シーンを見守ってきた歴史と伝統のあるポールなのです。

同じ15メートル21センチの掲揚塔は広島のエディオンスタジアム(広島ビックアーチ)にもあります。記念館の屋外や織田氏の母校海田小など海田町だけで5カ所、全国で9カ所まで分かっています。「全国からお知らせいただいて、まだあるかもしれません」と小谷館長。織田氏の偉業は今でも色あせることはないのです。

海田町役場や各施設の職員は優勝記録にちなんで7~9月の15日と21日に「織田幹雄ポロシャツ」を着用して故人を顕彰しているそうです。142個の金メダルの1つですが、日本がスポーツで世界の頂点に立てることを示した特別な「第1号」。これからいくつの金メダルを獲得しても、その価値は変わりません。【荻島弘一】