東京パラリンピックの聖火リレーは23日、東京都での4日目となった。コロナ禍のため公道を走らずに都立砧(きぬた)公園でのトーチキスイベントが実施された。

第1区で西東京市を走るはずだったサウンドクリエーター「DJ Yuta」こと井谷優太さん(36)は父憲人さん(63)と登壇した。出生時の事故で脳性麻痺(まひ)と診断され、言語と手足に重度の障がいを持ち、車いすで生活している。

憲人さん 生後1歳までは普通の赤ちゃんだと思っていました。なんか寝返りが不自然だなぁ、と感じて診察したら脳性麻痺かもしれないといわれてビックリした。

小学生から専門施設に入り親元から離れた生活をしていたこともあり、独立心は旺盛だった。週末に自宅に帰る生活サイクルで、自宅周辺での友だちづくりに憲人さんが考えたのは「ゲームで遊べる家」だった。友だちとゲームを通して意思疎通をするうちにゲームの世界観を別の音楽で表現できないかと思うようになり、音楽への興味を持つようになったという。

音楽は独学で、プログラミングした音源をシンセサイザーと指でたたくタップボードを使って生で演奏する方法を編みだした。憲人さんがたまたまラジオで障がい者を含むユニットで自作曲を発表するコンクールがあることを優太さんに伝えた。2014年のことだった。

当時、優太さんは地元の鳥取県でも「活動的な障がい者」として有名で、地元紙の協力もあり、コンテストの曲作りのため1人で沖縄に旅行してしまった。当時、実家は東伯郡北栄町で、優太さんは隣の倉吉市で独り暮らしをしていた。沖縄旅行のイメージづくりの成果もあって、応募した楽曲が事務局の目に留まり、音源審査でコンテストに出場できることが地元紙で発表され、その記事の中で沖縄に旅行していたことを憲人さんは「初めて沖縄なんて遠いところに行ったことを知って仰天させられた」と当時を振り返った。

15年に東京フォーラム(東京・有楽町)で開催された「第12回ゴールドコンサート」で優太さんは最優秀賞を受賞。以後、バリアフリーに取り組む東京・小平市にも拠点を置いて、東京と鳥取を行き来する生活となった。このときの目標が「東京パラリンピックの開会式にパフォーマーとして出場する」に定めた。

1年前に小平市の拠点はまん延する新型コロナウイルスの影響で引き払ってしまったが、優太さんはコロナ禍も自分に有利な環境だったと話す。「僕はもともと巣ごもりの状態で音楽を作っていたので、リモートとかもみんなが僕と同じになっただけ。(インターネットを通じて)世界のみんなとつながれた。昨年も米国のシンガーと曲作りもできて、逆に活動の幅は広がりましたね」と優太さんは楽しそうに話した。

目標とする24日の開会式はどうなるのか?

優太さんは張りのある声で「僕がパラリンピックに期待するのは、世界のいろんな人…障がいのある人も、障がいのない人も自然に交じっていける社会へのきっかけになることを期待しています」と話して「ハハハ」と笑った。その横で憲人さんは「詳しいことは25日にならないとしゃべれないんです」と満面の笑みを浮かべる。開会式まであとわずか。優太さんは、どう関わってくるのか。【寺沢卓】