サッカー男子日本代表にオーバーエージ(OA)枠で招集されたMF遠藤航(28=シュツットガルト)が東京経由カタールで輝く。

22年W杯カタール大会でも主軸として活躍が期待されるボランチ。ひょうひょうとピッチで仕事をこなすリーダーシップあふれる姿は、幼少期から変わらないものだった。原点のひとつであるクーバー・コーチングスクールの寺尾厚志コーチ(46)が、当時の人間像について語った。

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遠藤が小学3年から6年まで在籍していた同スクールで指導していた寺尾コーチは「この子がプロになる、と感じたことはなかった」と明かす。スクール内でトップクラスの実力はあったが、プロになり、日本代表になることは想像していなかったという。「周りの子がうまかったのもあり、特別に飛び抜けたものはそれほど見えなかった」と当時を振り返った。

ボールを自在に扱えることをひとつの指導テーマとし、100種類以上のスキルを教えている。多くの子どもたちが難易度が高い技を習得するのに躍起になる中で、遠藤は少し違った。「よくやっていたのは、持っているボールを守るための技」と、派手さよりも的確に、より効果的に使えるものを好んでいた。

「子どもたちはやっぱりみんなゴールだ大好き」。そう寺尾コーチも認めるが、遠藤のプレーで印象深いのはインターセプトや後方から攻め立てる場面だという。

日々、印象に残ったことを記した日誌がある。読み返すと遠藤について「ゴールをよく決めていた」と書かれた日があった。「それくらい珍しいと感じた。やればできるけど、ゴールについては他にもやりたい子はたくさんいる。それが見えていたんだと思います」。周囲を見渡し、仲間のために行動する。リーダーの資質は小学生にして垣間見えていた。

スクールを卒業して南戸塚中から湘南ユース入りを勝ち取り、現在はブンデスリーガでボール争奪戦の「デュエル王」の座を手にするまでに進化した。16年リオデジャネイロ五輪では1次リーグ敗退と悔しい思いをしただけに、東京五輪にかける思いも強かった。

ただそれもあくまで「サッカー人生の1つのハイライトだと思います」と寺尾コーチ。周囲の想像をはるかに超える選手になった遠藤は五輪、そしてW杯に向かって戦い続ける。