夏季五輪日本人最多タイの6度目出場の寺内健(40=ミキハウス)が、13年ぶりの個人種目決勝に臨んだ。2日の予選を10位通過、この日午前の準決勝を7位通過。12人出場の決勝は359・30点で12位だった。

痛恨のミスだった。3本目で踏み出しが乱れて、板の先端を踏む形となった。ジャンプの高さが足りずに、体が回りきらないままで入水となった。29・70点。予選、準決勝と完成度の高さで勝ち上がってきた。難易度の合計は決勝12人の中で下から2番目だけに、入水は寺内の生命線だった。

4日後の7日に41歳の誕生日を迎える。高1の96年アトランタ大会から数えて、五輪は6度目。馬淵コーチは「一瞬のジャンプ、動き、入水。年齢を重ねると体の利きが悪くなる。ここまで長く活躍する選手は世界的にもほぼいない」。

この日6本目の演技を終えると、スタンドにいた各国の選手、関係者がスタンディングオベーションを送った。世界中の仲間から送られた拍手に、寺内は両手を挙げて、一礼した。

かつて競った選手も指導者や審判になった。「会場で『ケン、頑張れよ』と握手してくれるけど、採点は辛かったり」と苦笑い。飛び込み界のレジェンドといえる存在だが、競泳北島康介氏、柔道野村忠宏氏と仲がよく「僕が知るレジェンドは金4個、3個ととっている。僕はレジェンドなんかじゃない」という。

運命の東京だ。10歳の時、64年東京五輪に出た馬淵かの子コーチ(83)に誘われた。ずっと飛び続けて、30年が経過した。恩師から「メダルを見るまで死ねない」とハッパをかけられているが、今大会前は「頑張れとは言わない。普通通り」と言われた。コーチ氏はメダル候補と期待された自国五輪で重圧から調子を崩して7位だった。教え子への思いやりがこもったエールに、40歳は励まされた。

2日で予選、準決勝、決勝と戦った。メダルは届かなかったが、スタンドで応援した14歳の玉井陸斗、20歳の荒井祭里に、ベストを尽くす姿を披露した。【益田一弘】