決勝トーナメント進出をかけた試合が始まった。不公平をなくすために、リーグの最終戦は同時刻にキックオフするのが通例。W杯でも86年メキシコ大会から同時に行われている。

3巡目初日は、オランダとイングランドが順当に決勝トーナメント進出。ともに負けても大量失点しなければOKで、危なげなかった。緊張感があったのはA組のエクアドル-セネガルとB組のイラン-米国。ともに好ゲームだった。

状況が似ていた。2位にいたエクアドルは勝ちか引き分けで突破。3位だったセネガルは勝利が必要だった。同じく2の位イランは引き分け以上でよく、3位米国は勝たなければ敗退だった。数字上は2位チームが有利だったが、結果はセネガルと米国が勝利した。

ともに3位からの逆転。「偶然だろう」という声もあるだろうが、サッカーではよく見る光景でもある。「勝たなければいけない」状況に、解説者たちが「分かりやすくなった」というのは、決して視聴者向けだけではない。選手たちにとっても「分かりやすい」ことは非常に重要なのだ。

「同じ絵を見る」。サッカーやラグビーなどでよく耳にする言葉だ。選手たちはゲームプランから状況に応じたプレーまで共通した認識のもとで戦っている。この「共通認識」を「同じ絵を見る」という。ピッチ上の選手が同じ絵を見てプレー選択し、絵の通りに動く。11人が連動する現代サッカーでは「共通認識」は特に重要。見ている絵が違えば、バラバラになる。

「勝たなければ」は絵が描きやすい。「引き分けでも」が加わると、絵がずれてくる。チーム全員が「勝たなければ」と思えればいいが、一部が「引き分けでも」になると共通認識が崩れる。同じタイミングでゲームプランを変えられればいいが、それも難しい。

コスタリカ戦で勝利を狙った日本は、勝ち点1でもいい状況だった。なかなか得点が奪えず、一部の選手が「引き分けでもいい」と思ったのだ。いや、頭の中は「勝ち点3」だったのかもしれないが、体が「1」に動いたのではないか。

元日本代表監督の岡田武史氏は「日本は引き分けるのが苦手」という。93年Jリーグ開幕直後は「日本人には引き分け文化がない」と延長(Vゴール)、PK戦まで行っていた。リーグ戦なのに、PK戦は98年まで、延長は02年まで。歴史的に見ても「勝利」と「引き分け」を試合中に使い分けることは難しそうだ。

全員が「同じ絵」を見やすい「勝利が必要」は、決して日本にとって不利ではない。実力差があることは間違いないし、ボールも保持されるだろうが、無失点で耐えれば状況が変わる。スペイン選手の一部が「引き分けでも」と違う絵を見れば、日本の快足FWが付けいるスキもできる。

もちろん、同時開始のコスタリカ-ドイツの経過は気になる。もっとも普通に考えればドイツの勝利だろう(そうならないのもサッカーだが)。早々とドイツがゴールを重ねれば、さらに「分かりやすい」状況になる。「勝たなければならない」はネガティブではなくポジティブ。セネガルと米国の選手たちの歓喜を見ながら、そう確信した。【荻島弘一】(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIの毎日がW杯」)

イラン対米国 前半、ゴールを決める米国・プリシック(中央)(撮影・パオロ ヌッチ)
イラン対米国 前半、ゴールを決める米国・プリシック(中央)(撮影・パオロ ヌッチ)