勝負の世界には、時に「名脇役」の存在がいる。日本代表と東京オリンピック(五輪)(U-23)代表を兼任する森保一監督(51)を支える、横内昭展コーチ(52)がその人だ。サンフレッチェ広島時代から2人の監督、コーチの関係は約9年も続く。互いに選手として出会ってからは、33年以上がたつ。

2人は横内コーチが学年では1つ上。広島の前身マツダ時代から先輩、後輩の関係だ。森保監督が長崎、横内コーチが福岡県出身。同じ九州から高校卒業と同時に広島にやってきた。

横内コーチに以前、失礼ながら脇役の心構えを聞いたことがある。彼は即答だった。

「それが僕の仕事。自分がどれだけ仕事をできているかは、まったく分からないけどね」

いずれは監督業をやりたいという夢を持ちながら、そんな色気を一切感じさせない。時に存在感を消し、森保監督の右腕になりきる姿には“すごみ”すら覚える。

現役時代も脇役を生き抜いたからかもしれない。東海大五(現東海大福岡)高からMFだった横内コーチの採用を決めた、元広島総監督の今西和男さん(79)は当時、こう話していた。

「左サイドをキュキュと抜いていく、いい選手なのにクロスはうまくない。オフト(当時監督)によく指導されていた。彼の将来を考えた時、引退する前から指導者の勉強をさせたかった存在なんです」

Jリーグでは95年限りで引退し、通算4試合出場に終わった。記者は現役時代の横内コーチを多く取材したが、中足骨骨折などのけがに泣かされる記事が大半だった。

当時最も印象に残る会話は、J発足2年目の94年だった。彼は当時25歳。記者の「尊敬する選手は」という問いに、後輩である24歳の森保監督の名を挙げた。「どんな時も自分の責任を果たし、心から尊敬できる」。真顔で説明され、本気度が分かった。

練習が終われば当時、森保監督の自宅を訪れ、2人は試合のビデオを見ては互いのサッカー観を語り合った。単に仲がいい「同士」ではなく、「同志」と思っていた。だから今、2人が指導者としてタッグを組むのは必然だった。

2人が同時に広島から日本協会へ移った後も、森保監督は「横内コーチのコメントは、僕の言葉だと思ってください」と公言した。全幅の信頼を寄せるのは、互いの考えが共有されているから。だから横内コーチが代行で、五輪世代を指揮することもあった。

かつて広島で同僚だった関係者は、横内コーチのことを「とにかく選手への声かけ、アプローチが人一倍うまい」とうなる。

実際に現場で見ると、ピッチ内外で選手に細かく接している。現役時代はほとんど試合に出られなかったぶん、当時から分析力を培ってきた。理論派で、控え選手の気持ちも分かる。繊細なマネジメント能力が武器だ。

今年1月のU-23アジア選手権で、日本は史上初めて1次リーグで敗退。その頃から現体制への批判が高まり始めた。森保監督、横内コーチとともに「超」が付くほどの真面目な性格だけに、批判は正面で受け止めている。一方で途中で投げだす性格ではないことも確かだ。

94年1月に結婚した愛称「ヨコさん」は2女に恵まれ、彼女たちはこの春、社会人、大学生になったと聞く。私生活でも優しい父親だ。

東京五輪が1年延期され、日本代表のW杯アジア2次予選も延期された。今後はよりタイトな日程も懸念されるが、鉄の意志で森保ジャパンを支える覚悟でいることに間違いない。【横田和幸】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サッカー現場発」)

◆横田和幸(よこた・かずゆき)1968年(昭43)2月24日、大阪府生まれ。91年日刊スポーツ入社。96年アトランタ五輪、98年サッカーW杯フランス大会など取材。広島、G大阪などJリーグを中心にスポーツ全般を担当。