日本サッカー協会(JFA)は22日、臨時の理事会を開催し、日本が開催地に立候補していた23年女子ワールドカップ(W杯)の招致断念を決めた。JFA田嶋幸三会長(62)がオンライン取材に応じ、表明した。日本の他には共催を目指すオーストラリアとニュージーランド、コロンビアが手を挙げており、25日の国際サッカー連盟(FIFA)理事会で開催国が決定する予定だった。

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厳しい表情が、決断の難しさを物語っていた。今月の常務理事会、理事会、招致委員会で「招致撤退」の議論を重ね、この日の緊急理事会では全会一致でまとまった。田嶋会長は「もちろん私の責任はあるが、やったことが全て無駄だとは全く思っていない。逆に次につながるようにするためにも、この段階で手を下ろす決断につなげた。さまざまな情勢を鑑みると仕方がない。苦渋の決断をせざるを得なかったこと残念でならない」と絞り出した。

新型コロナウイルスの感染拡大が影響した。JFAは20年東京オリンピック(五輪)、21年女子プロリーグ(WEリーグ)開幕、22年国体のU-16(16歳以下)から23年女子W杯開催と、女子サッカー発展へのシナリオを描いていた。だが東京五輪が21年に延期。女子五輪代表は年齢制限がなく、同じ代表が短期間で2度も同じ国で国際大会を行うことに難色を示す声も届きはじめていた。

8日にはブラジルも新型コロナ禍を理由に撤退。10日に発表された3候補の評価報告書では、ASEANサッカー連盟が支持を表明し、共催を目指すオーストラリア・ニュージーランドに次いで2位評価と、25日の投票を前に情勢の厳しさを認識した。「大勢がそっちに傾いた中でアジアが1つにまとまる大切さを理解した。次にサポートしてもらえるということには間違いなくつながると感じた」と、同じアジアの共催国をサポートする方へとかじを切った。

13年12月の立候補から、最終決定3日前に撤退という結末に至った。田嶋会長は多くのサポートに謝意を示したうえで「トータルでかかった額は約7000万円。大きな数字だが今までほど多くかけていない。日本の開催能力はすごいと多くの方に理解してもらった。日本でやる価値はあると招致活動で理解してもらえたと思っている」と、将来の再立候補への意欲もにじませた。【浜本卓也】

<日本の23年女子W杯招致活動経過>

◆13年12月 JFAの理事会で23年W杯の開催地への立候補を決議。

◆19年3月 W杯招致のための意思表明書をFIFAに提出。

◆同4月 招致登録書をFIFAに提出。

◆同7月 JFAが招致ロゴを発表。第1回招致委員会を開催。

◆同8月 第2回招致委員会を開催。

◆同12月 第3回招致委員会を開催。開催提案書などの最終書類を提出し、立候補を正式表明。

◆20年2月 FIFAが日本での4日間の視察を開始。

◆同6月8日 ブラジルが新型コロナウイルスの影響による招致活動撤退を発表。

◆同6月10日 FIFAが各候補地の評価報告書を発表。日本は2番目の評価を受ける。

◆同6月22日 JFAの臨時理事会で立候補取り下げを決定。