約半年ぶりに日本代表に復帰したMF旗手怜央(24=セルティック)にとってエクアドル戦は代表切符を懸けた勝負の場になる。インサイドハーフ、ウイング、サイドバックまでこなす万能選手。今月に入って欧州チャンピオンズリーグ(CL)では輝きを見せる。

小学生時代に通っていた「クーバー・コーチング・サッカースクール」の小林元洋コーチ(45)が、サッカーを始めた頃の逸話を明かした。

小林コーチは旗手がサッカーを始めたばかりの小学2、3年時に指導。実は、出会う前に“うわさ”を聞いていた。

小林コーチの妻が偶然にも、旗手が幼稚園年中の時の担任だった。「自転車をこぐスピードが速すぎて、チェーンが何度も切れちゃう子がいるの」。ペダルを踏んでこぎ出す力が強すぎて、チェーンの強度が持たず次々に切れてしまう。4歳の子とは思えぬ話だ。

「ああ、この子か」。旗手がサッカーをする姿を初めて見た時、小林コーチはそんな逸話もおかしくないと確信した。「ギュンっていう瞬発力で相手をかわすんです。しかもぶつかられても、全く倒れない。体が大きかったわけでもないんですけどね」。生まれ持った身体能力に加え、負けん気も十分。計り知れない努力を物語るのが、毎年届いていた年賀状だった。

旗手が小学2年生の時。「今は29回リフティングができるので、次は左右交互に55回できるように頑張ります」。そのたった1年後。「1858回できるようになりました!」。とてつもない成長スピードに、小林コーチは驚いた。「小学生で何百回出来ることが、なかなかないこと。1800回超えてるというのは…。目標を立てたら、すごくできるようになるんです」。その年賀状には、すぐに次の目標が「頭や体のいろんなところを使ってできるようになります」と記されていた。

父浩二さんは高校野球の名門PL学園で、桑田、清原の1学年上の遊撃手としてプレー。野球をする前の体を動かす手段として始めさせたサッカーに、息子はのめり込んでいった。

スクールの時間はいつも決まって、ベンチに座った浩二さんがずっと見守っていた。サッカーの動きを覚えて、息子を上達させたかったから。夏休みの間はスクールが休みのため、母は練習メニューを聞きに来た。秀でた才能が開花した裏には、両親の先見の明と愛情もあった。【磯綾乃】

◆旗手怜央(はたて・れお)1997年(平9)11月21日生まれ、三重・鈴鹿市出身。FC四日市ジュニア-FC四日市-静岡学園-順大を経て、20年川崎Fに入団。J1通算58試合9得点。21年にセルティックへ完全移籍。昨夏の東京オリンピックメンバーで、国際Aマッチは1試合0得点。171センチ、70キロ。利き足は右。