日本で唯一2度のワールドカップ(W杯)指揮を誇る岡田武史元監督(66=日本サッカー協会副会長)が、約40年にわたって密着してきた日刊スポーツの歴代担当記者と「岡田武史論」を展開した。第2回は10年W杯南アフリカ大会を担当した井上真記者編。

 ◇  ◇  ◇

目の前にいる岡田武史さんは66歳になっていた。私がW杯南アフリカ大会で食い下がった時は53歳。月日が表情を変えたのか、人間味がよりいっそう錬られ、深みが増したのか。にこやかで余裕がある。

森保一監督が批判されながらもW杯出場を決め、日本人監督3人目の大会を目前にする。いばらの道を2度踏み越えた岡田さんの言葉から、森保監督の苛烈な道のり=「クレージージョブ(常軌を逸した仕事)」を感じることができるはずだ。もう2度とない好機。記者にとっても南アフリカ大会を締めくくる取材となるはずだ。

07年初冬、脳梗塞のオシムさんの後任を受諾する。

岡田さん (監督要請の)話を聞いていて、すごく壁があった。神様みたいに言われていたオシムさんの後で、最初の試合がW杯予選。それも年明けすぐ。えっ! って。でも、話を聞いていたら、もうコノヤローと(闘志が)湧いてきちゃって。自分が引き受けなかったら外国人が金で引き受けて、予選で敗退して「無理だった…」で終わってしまうなと。日本人として、ここは逃げちゃいけないって気持ちが湧いてきて「やります」と。「あっ、言っちゃった!」と。帰って、かみさんにえらい怒られた。「あなた、出かける時は断るって言ってたでしょ!」。「ごめん…」。そんな感じだったよ。

イビチャ・オシムからの岡田武史は、とてつもない逆風になった。会見では鉄仮面で最小限の発言、チーム情報は出さない。担当していた私は反発し、執拗(しつよう)に内情を探ろうとした。5月の代表メンバー発表直後の選手への取材を禁じた方針に異議を唱えた。

南アフリカのキャンプ地ジョージでの非公開練習。ボランチに今野を試したとの情報を得て、岡田さんにぶつけた。弊社記者が私の数メートル先で報道陣に囲まれながら「今野をボランチで試したのですか?」と聞いた。

私は「冗談ではぐらかすだろうな」と予想していた。すると、岡田さんはいきなり首をくるりと回し、真っすぐ私を鋭くにらみ言った。「お前、のぞいたのか?」。一喝された。

質問した弊社記者ではなく、キャップだった私に向けての怒声に近い激しい言葉だった。まさかのリアクションに、言葉が返せなかった。すさまじい気迫と怒気。「のぞいていない」と言えなかった後悔よりも、ものすごく真剣なエネルギーに圧倒された。

岡田さんはその後の強化試合に負け続けていたが、ものともしなかったと言う。「弱いチームに勝って大会に入るのではなく、強い相手とやりたい。そう協会にお願いしていた」。負けて分析し、試してまた負けた。しかし、負けても心は曇らない。なぜか、気持ちは整理されていた。

岡田さん かみさんから言われた。「1回目のW杯が悔しかったでしょう? だから絶対、(2度目も)イエスって言ったんでしょう?」。確かに、このままW杯を終わりたくないという気持ちはあったのかもしれない。

悔しかった。フランス大会の0勝3敗。自分の力で決着をつける。そのために没頭する。とことん突き抜けて研究し続ける情熱があった。日本協会の会長だった犬飼さんはこう振り返っている。

「世界のサッカーの最先端を研究し、その知見でW杯で勝負できるチーム作りをしていた。強化マッチの狙いも明確。チームに一体感を出すべく、最善の組み合わせを考えていた」

岡田さん 命懸け。必要なことが起きて、そこに対して自分ができることは、死に物狂いでやることだけ。すべてを懸けて一生懸命やる。託すしかなくなる。あとは天の配剤になる。

事前キャンプ地ザースフェー(スイス)の深夜。映像を見て、ホワイトボードのマグネットを動かす。画面やボードからの情報がいっぱいになると目をつむる。「妄想するんだよ」。死ぬ気の岡田さんが進入できる職人の領域だった。

目をつむると、カメルーンの選手の動きが浮かんでくる。そこに対応するのは誰だ。そのまま妄想を流せば答えは見えた。カメルーンの猛攻をしのぐ。何か違う。妄想の細部に何かある。中盤に5枚、フラットに並んでいた。

岡田さん ピッチの幅68メートルを(フィジカルに劣る)日本人が4人で守るのはきつい。5枚をフラットに並べたらどうなるんだ? ディフェンスラインに5枚並べるとベタ引きになってしまう。だけど中盤に5枚なら、うまくいく。そうか、と。遠藤が右にズレたら阿部も横に動く。クロスせず、ロープにつながれたようにスライドすることで、全体がしっくりいって守れる。これはいける。

メディアは「4-1-4-1」と理解していたが、実は「4-5-1」が岡田さんのカメルーン戦への秘策だった。天の配剤を受け、もう迷うことはなかった。南ア・ジョージに入り、急きょジンバブエとの練習マッチを組んだ。カメルーン戦のわずか4日前。

そして確信を得て、決戦の地ブルームフォンテーンに入る。カメルーン戦前日、日本の夫人に国際電話を入れた。

「いけると思う。明日勝てると思う」

02年トルシエのトルコ戦、10年岡田さんのパラグアイとのPK戦、そして18年ベルギーの14秒のカウンター。日本はまだ、8強の力を示せてはいない。試練は続く。

岡田さん 我々は勝つしかないんだよ。結果を出すしかない。日本だけが特別ではない。ただ、その中でも日本は「戦術」や「交代」を批判するのではなくて、「人間」を批判することが時々ある。だから、勝った時にチェッと思っちゃう人(アンチ)もいる。おそらくメディアの半分くらいはカメルーンに勝った時、チェッと思ったんじゃないかな。何となく自分にはそう思えた。人間をたたくから、そうなる。勝ったら監督なんか関係ないんだよ。自分たちの国の代表チームが勝つことを、みんなで喜べるようになったらいいよね。

あのカメルーン戦から12年以上が経過して、岡田さんの言葉を聞きながら1-0終了ホイッスルを聞いた時の感情がよみがえってきた。南アフリカのまったく知らない人に「コングラチュレーション」と声をかけられ、腕を触られた。驚き、そしてうれしかった。W杯で代表チームが勝つって、こんな思いになるんだと。

11月23日、強国ドイツを倒すことを、心の底から願っている。W杯への扉を開けたルーツ岡田さんの言葉は、真っすぐ胸に届いた。【10年南アフリカ大会担当=井上真】

◆岡田武史(おかだ・たけし)1956年(昭31)8月25日、香川県生まれ。大阪・天王寺高-早大-古河電工(現J2千葉)。90年に引退後は指導者となり、97年10月に日本代表コーチから監督へと昇格。98年W杯フランス大会を指揮。札幌、横浜の監督を経て07年に日本代表監督に再登板した。14年11月にFC今治のオーナーに就任し、チームを経営。日本サッカー協会(JFA)副会長。

◆クレージージョブ(Crazy Job)自国のサッカー代表監督を務める激務が欧州でこう表現される。常軌を逸した仕事。岡田氏がフランス大会を率いる前、名将アーセン・ベンゲルから授かった言葉。家族に危険が及ぶほど批判される覚悟がいる。