富山第一は優勝候補の青森山田と互角に渡り合ったが、1点に泣いた。

 均衡が破られたのは後半31分。左サイドからクロスボールを青森山田MF高橋壱晟(2年)に頭で決められた。1点を追う中、同点を信じて大塚一朗監督はロスタイム、GKを相山竜輝(3年)からPK職人の久我芳樹(3年)代え、最後まであきらめない姿勢を強調した。ベンチのゲキに応えるように、選手たちも相手ゴール前へ押し込み、CKから好機をつくったが、ゴールは遠かった。

 センターバックながら背番号10をつけ、最後まで体を張ったプレーを見せた主将の早川雄貴(3年)は試合後も涙が止まらなかった。「(失点場面は)自分が競り負けた。原因は自分にある」。そんな主将を思いやるように、大塚監督は柔らかな表情で「早川がやられたならしようがない。優勝候補を相手に称賛に値するプレーだった」と話した。

 2年前の大会で北陸勢初の日本一に輝いた。しかし、日本一になった後、富山県内で勝てなくなった。前回大会は予選で敗れ、優勝旗は早川主将ら3選手で返しにきた。「非常に悔しかった」。さらに昨夏のインターハイも予選敗退。慢心があった。「トミイチに来れば、全国に出られると誰もが思っていた」(同主将)。その夏、早川は「10番」を託された。「トミイチの10番は(2年前の)大塚さん、プロになった西村さんと偉大なキャプテンが背負ってきた」(早川)という番号だ。指揮官の思いを受け止め、責任を背負った。

 ピッチ外の行動から変えた。周辺のゴミ拾いからトイレ掃除。日常生活から細部にこだわることで、ピッチ内での役割を個々が責任を持ってプレーすることにつながった。スター選手はいない中、全員がハードワークに努め、こぼれ球などのルーズボールに強くなった。結果、富山大会を粘り強く勝ち抜き、2年ぶりの全国大会につながった。

 2年前の再現とはならなかったが、全国ベスト8は十分に誇れる。早川主将は「この1年つらい思いをしてきた。だけど、このチームに来てよかった」。そして「うまくなるためには、人間性がよくなければいけない。自分はもっといい人間になりたい」とも付け加えた。涙とともに高校サッカーは終わった。だが次のステージへ向かう前に、早川主将、そしてチームは大きな糧を手にした。