ラモス瑠偉氏(61)が10日、涙で日本サッカー殿堂入りを喜んだ。ラモス氏は日本サッカー協会創立記念日のこの日、東京・文京区のJFAハウスで行われた殿堂掲額式典に出席。読売クラブ時代からの盟友、加藤久氏(61)、68年メキシコ五輪で銅メダルを獲得した日本代表メンバーとともに記念プレートを贈呈され「正直、こんな日が来るとは思わなかった」と言葉を詰まらせた。

77年、20歳で来日して当時日本リーグ2部の読売クラブ入りした時は「金を稼いで、1年で帰ろう」と思っていた。ところが、そのシーズンの試合中に相手選手を追い回して1年間の出場停止処分。レベルも環境も「草サッカー」と思っていた日本で屈辱を受け「見返してやる」「日本で認められるまではブラジル帰らない」と覚悟を決めた。

復帰してからは攻撃的MFとして大活躍し、クラブの黄金時代を築いた。93年に発足したJリーグでもヴェルディを2連覇に導くなど、98年に引退するまで全力プレーを続けた。89年には日本国籍取得。クラブや家族のためだが、直後に日本代表入りも果たした。

「横山さんは恩人。代表に呼んでくれて、サッカー人生が変わった」と、当時日本代表監督だったメキシコ五輪組の横山謙三氏に感謝した。「日の丸」を背負い「大和魂」を前面にチームを鼓舞し続けた。高い技術と強い気持ちは、日本サッカーを成長させた。

歯に衣(きぬ)着せぬ発言は、時に日本代表や日本協会にも向けられた。「愛してるから。そういう言い方しかできない」。日本協会から見れば、決して「やりやすい」選手、監督ではなかった。それでも、協会に、日本サッカーに認められて殿堂入り。だから、自然と涙が出た。

日本リーグ、Jリーグで活躍し、代表ではアジア杯優勝、ドーハの悲劇も味わった。クラブのフロントと対立し、移籍もした。私生活では初音さんとの結婚、そして死別…、俊子さんとの再婚。一昨年末には脳梗塞に倒れ、車いす生活も危ぶまれる中で地獄のリハビリ…。山あり谷あり、それでも真っすぐ走ってきた。

「まさか、ここまで来ることができるとか…」。加藤氏と肩を組み、記念撮影に収まった後、しみじみと言葉をかみしめた。そして「世の中には1つ、絶対に裏切らないものがある」と言い「それは努力」と続けた。ラモス瑠偉、61歳。日本サッカーに対する「見返したい」という思いは、涙とともに「感謝」に変わっていた。