J1湘南ベルマーレが今年で創立50周年を迎えた。22日にOBによる記念のレジェンドマッチがBMWスタジアム平塚で開催され、呂比須ワグナー氏、岩本輝雄氏らが参加した。

ベルマーレ平塚として初めてJリーグに昇格した94年、3月16日にリーグ初勝利を挙げた相手である横浜F・マリノスのOBチームを招いての一戦は2-3で敗れた。

湘南OBを監督として率いた古前田充氏(68)は試合後、正面スタンドに並んで湘南コールを受けるプレーヤーたちの後ろで、静かに両手を振った。

68年に創立された前身のフジタで、73年から82年までプレー。現役時代は長髪をたなびかせて「将軍」と呼ばれた古前田氏は試合後「50年という歴史に、私がここまで携われたことに感謝しています」と目を細めた。

引退後もフジタでコーチを務め、90年からは監督として、チーム名がベルマーレ平塚に変わってからも95年まで指揮した。当時「ベルマーレ旋風」とも呼ばれた攻撃的サッカーを作り上げた。00年までチームのフロントとしても活動。約30年間、クラブに尽くした。

今回集まったチームでは“最古参”の古前田氏。クラブが紡いだ50年という年月に対して、こう話す。「サッカーという文化としてはようやく、初めてスタートに立った、というくらいの年月ではないでしょうか。チームとしても、周囲の環境も」。

古前田氏がフジタに入団した当時、プロ選手など誰も想像しない時代だった。ただ海外を見渡せば、プロリーグで100年以上の歴史を持つイングランドのような大国がある。ほっとしている場合ではないと、強いまなざしが物語った。

約30年のクラブでの仕事。ハイライトは95年にMF中田英寿が加入したことだった。当時10クラブ以上から声をかけられていた山梨・韮崎高の中田を試合で視察し、試合後に「見させてもらった」と声をかけた。

「今日はあまり調子がよくなかったです」と返してきた中田の表情を今でも忘れることはない。当時スカウトの間では選手に直接声をかけるのは「ルール違反」とされ、批判も浴びた。以後は話すことはなかったが、中田はベルマーレを選択した。

加入した中田には練習から驚かされた。軽く体を動かすような段階から、あえて相手が止められないような強いパスを蹴っていた。先輩に「ばかか、そんなに強く蹴って」ととがめられても、ひるまず続けた。すでに世代別代表として世界と戦い、日本人の課題はパスが弱すぎてつながりが遅いことだと分かっていた。古前田氏は「チームの暗黙の刺激になっていた」と振り返る。

いい思いばかりは続かない。99年にはフジタが撤退し、チームもJ2に降格。自身はシーズン途中から監督に復帰するも、残留を果たせずに辞任した。09年まで長くJ2で戦い、その後も昇格と降格を繰り返してきた。

それでも12年から監督に就任した曹貴裁監督のもとで努力を続け、今季ルヴァン杯を制覇。00年にクラブ名を湘南ベルマーレとしてから初めてのタイトルを獲得した。

古前田氏は「今のままでは、チャンピオンでいつづけるのは無理なこと」と話す。チームを指揮した経験から、古前田氏の目には「曹監督は本当にぎりぎりのところで頑張っている」と映る。泥臭くても走り勝つ湘南スタイル。ただ、その懸命さは、あくまでサッカーのベースと捉えている。

「曹監督の指導力と、あのサッカーに賛同する選手が集まるおかげで成り立っている。ただ、サッカーはもっと奥が深い部分がある個の力が出てこないと、常勝軍団にはなれない」。

獲得したタイトルはあくまで、J1で戦い続けるためのスタートの合図だ。「また紆余(うよ)曲折もあるかもしれない。恐れずに、もっといいレベルを作り上げていってほしい」。51年目を迎えるベルマーレに向けた、時に厳しい言葉の1つ1つに、深い愛がこもっている。