ガンバ大阪のMF遠藤保仁(40)が5日、J2ジュビロ磐田への期限付き移籍が発表され、大阪・吹田市内でオンライン会見に臨んだ。移籍を決断した理由について「小さなものがいっぱい重なって、大きなものになる」と説明した。その中に出場機会があるのは認めたが、あくまで1つの要素だと強く言い切った。

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遠藤らしい、前向きで明るい、約30分間の移籍会見だった。その中で唯一、言葉を濁したのは、移籍を決めた時期や詳細な理由。あくまで「小さなものがいっぱい重なって」という表現だった。

記者が1つ思いあたる“小さなもの”は、8月23日の鹿島アントラーズ戦(カシマ)。午後5時前に発表されたメンバーリストに、遠藤が入っていなかった。遠藤に近い関係者は、あまりにも突然のことに驚いたという。実際にJ1リーグでベンチ外は9年ぶり。今までは試合=先発、最低でもベンチ入りは当たり前だった。

その次の8月29日のFC東京戦(パナスタ)もベンチ外だった。鹿島戦は茨城遠征なので体力面を配慮されたと思っていたが、ホームでも同じ状態。2試合連続ベンチ外は実に10年ぶり。関係者によると、遠藤の元へは体調を心配し、連絡が多く寄せられたという。だが本人は体調にまったく問題なく、元気だと答えたという。

この頃、宮本監督は遠藤のベンチ外に関して、「そういう(流れを変えたい時に起用したいという)伝え方をしているし、本人も状態を上げるという話もしていて、見解は一致している」と説明していた。だが、その後もベンチ入りはするが途中出場ばかり。ベンチを温めるだけの日もあった。

9月9日の柏レイソル戦は、0-3と惨敗濃厚となった後半32分からの出場。この場面での遠藤投入は、あくまでも記者の立場からだが「きつい」と思った。

宮本監督が目指すサッカーは前線からプレスをかけ、激しく攻撃を仕掛けるスタイルで、遠藤には合わないのは既に分かっていた。遠藤は1つ1つのプレーを緩急自在に操り、時に将棋のようにゆっくり理詰めで進めていく。あくまで例えだが、プロ野球の打者対投手、大相撲の立ち会いに近いような、独特の「間(ま)」がプレーにあった。それが芸術的でもあった。今のG大阪が志向するサッカーとは隔たりが大きかった。

関係者によると、遠藤が移籍を模索し始めたのは9月初旬。タイミングとしては、この2週間の動きで移籍への意思が固まったとみられる。

これはあくまで、アマチュア的な記者の発想で余談ではあるが、遠藤が9年ぶりにベンチを外れた鹿島戦は、代表で長年プレーしてきた盟友であり、親友の内田篤人さんの引退試合でもあった。そこに、あくまでも偶然が重なったとはいえ、遠藤は遠征から外れた。きっと、後輩に一声をかけたかったに違いない。そして記者は、移籍への胸騒ぎもしていた。

この日の会見で、遠藤は「何のため練習しているかといえば、試合に出るため、結果を残すため。それが、なかなか発揮できない理由はもちろん、自分にもある」と言った。遠藤らしく、移籍の理由を自分の責任として感じていた。宮本監督へも「感謝しています」と語った。

G大阪が目指すサッカーとの方向性の違い、突然のベンチ外の扱い、途中出場で結果を出しても先発に復帰できない状況。いろいろな要素が絡まり、本人にしか分からない思いで導き出した今回の決断。遠藤ファンなら、誰もが尊重して快く送り出してあげたい。【横田和幸】