ガンバ大阪の元日本代表MF遠藤保仁(40)が、J2ジュビロ磐田に期限付き移籍することが5日、両クラブから発表された。期間は来年1月末までで、新天地での背番号は50に決定。G大阪では将来の監督候補として期待されており、今回は武者修行の意味を込めて送り出された。同選手はこの日、大阪・吹田市内でオンラインの記者会見に臨んだ。

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約20年間在籍したG大阪から旅立つ遠藤は、期限付き移籍では通常は行わない会見に臨んだ。在籍中に計9個のタイトル獲得に尽力したレジェンドは、クラブの愛情を感じていた。

「もちろん簡単な決断ではなかった。長くいればいるほど決断は難しくなるが、自分の気持ちを正直にぶつけた。この移籍がよかったと言えるような結果を残せたらいい」

J1通算最多出場記録を達成した今夏、出場機会が激減した。開幕19試合で先発はわずか3試合。「多くの試合に出たい思いが強くあった」と言いつつ「小さなものが、いっぱい重なって大きなものになった」と、多くの要素が絡んでの移籍だと強調した。

今季限りでG大阪との契約は切れ、来季は完全フリーの立場になる。G大阪が現体制でいけば、遠藤が選手で復帰する可能性は低い。それでもクラブ幹部は「ぜひ戻ってきてほしい」と、再契約の提示を行うことを明言している。

まだ数年は現役を続ける力はある。人格者であり、体力の不安も故障もない。仮にG大阪でプレーしなくとも、クラブ内には将来の監督候補として期待されている。会見に同席した小野社長は「引退後も何らかの形で、G大阪の発展に貢献してほしい思いがあった」と心境を明かす。

G大阪ジュニアユースに所属する遠藤の長男は来季、ユースへの昇格が内定した。遠藤は「親子で同じピッチに立ちたい」という夢を持ちながら、自身はより厳しいJ2の環境に身を投じる。「不安はない。新しい挑戦にわくわくしている」。最後まで前向きな会見だった。【横田和幸】

◆遠藤保仁◆ えんどう・やすひと。1980年(昭55)1月28日、鹿児島県生まれ。鹿児島実から横浜F、京都を経て01年G大阪移籍。W杯は06年ドイツ、10年南アフリカ、14年ブラジル大会出場。国際Aマッチ152試合(15得点)は歴代1位。J1通算641試合103得点。178センチ、75キロ。家族は夫人と2男2女。推定年俸1億円