ジョーカー。トランプでは切り札、ババを意味する。日本代表では、MF三笘薫(25=ブライトン)を示す。そんな未来像を、三笘は小学校時代から予期していた。追いかけてきたミツバチ2匹を振り切った伝説も残してきた。決勝トーナメント進出をかけた負ければ終わりのスペイン戦。日本のJOKERが、蝶のように舞い、蜂のように刺す。

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ムハマド・アリのように、三笘が伝説を残す。

「蝶のように舞っていた」。小学校時代。はやりの遊びは缶蹴りや、鬼ごっこだった。当時からずぬけていたスピード。ドリブルの原点ともいえる天性の小回り。「薫が鬼になると負ける」。神奈川・鷺沼の公園で恐れられ、逃げ回る相手を捕獲していた。大舞台のピッチでは、主戦場の左サイドで対峙(たいじ)するであろうスペイン代表の右サイドバック、アスピリクエタ、カルバハルらも華麗な舞であざ笑い、置き去りにする。

「蜂には刺されなかった」。伝説は小学校6年生の時に生まれた。友人たち10人ぐらいで、体育倉庫近くの木にあったミツバチの巣に向かって1人ずつ砂を投げ、逃げる遊びをしていた。ただ1人、蜂から追いかけられたのが三笘だった。それでも、持ち前の小回り、圧倒的なスピードで約10秒間走り回り、追ってきた2匹を振り切った。一般的にミツバチのスピードは時速30~40キロほどといわれるが、漫画の世界のように羽ばたいた。スペイン戦でも、相手のボランチ、右サイドバック、センターバックと、どんな2枚が来ようと、あの時と同じように刺されることはない。

今度は三笘が刺す番。勝てば、文句なしで決勝トーナメント進出が決まるスペイン戦。あの時同様に、道化師として相手を狂わす。3月のアジア最終予選オーストラリア戦。途中出場から2得点。後半39分から日本の全得点をネットに突き刺し、W杯出場を決めた。

JOKER。気づけば、そう呼ばれていた。幼い頃の遊びは、トランプもその1つ。友人たちとババ抜きをしていた際に撮影した写真には、笑顔で「JOKER」を左手に持つ三笘少年がいた。こんな未来を予期するかのように-。

JOKER。時にババであり、何にでも化ける無敵のカード。日本代表のJOKERは、相手にカウンターパンチを与える切り札。ヒーローは、遅れてやって来る。得点と勝利の匂いに導かれるように。蝶のように舞い、蜂のように刺す。歓喜の甘い蜜を吸うために。【栗田尚樹】

○…“ミツバチ伝説”は小、中学校が一緒だった同い年の伊藤滉さんが、現場で目撃していた。三笘が川崎Fの下部組織に移るまで、地元のさぎぬまSCでもチームメート。「ハチは笑いました」と懐かしむ。「少し前に緊張しないのか? って聞いたら『緊張しても仕方ないから、やるしかない』って言っていて。これが本物だと思いました」とジョーカーの一刺しを期待した。

◆三笘薫(みとま・かおる) 1997年(平9)5月20日生まれ、川崎市出身。川崎Fの下部組織から筑波大に進学、20年に川崎F入り。東京五輪日本代表。21年にプレミアリーグのブライトンへ。ベルギー・サンジロワーズへの期限付き移籍を経て今季からブライトンに復帰。178センチ、73キロ。血液型0。

◆W杯アジア最終予選オーストラリア戦(3月24日)VTR B組2位の日本と同3位オーストラリアとの対決は激しい雨の中の1戦。前半から一進一退の攻防で、三笘は後半39分に左FW南野に代わってピッチに立った。同44分にDF山根の右からの折り返しを右足ダイレクトでゴール左にたたき込み、先制点。さらに同49分のロスタイムには左サイドからドリブルで切れ込み、右足を振り抜いて2点目を挙げた。この2発で2-0で勝利し、7大会連続7度目のW杯出場を決めた。同最終予選で途中出場で2得点以上をマークしたのは三笘が初だった。

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