スペイン戦勝利の直後、守護神権田と抱き合う2人のGKの姿があった。ベテラン川島とともに走り寄ったのはW杯初選出のシュミット・ダニエル(30=シントトロイデン)だった。「本当にいい経験をさせてもらった。(8強になるには)世界のトップの大会で活躍出来る選手になることが大事」。今大会ピッチに立つことはなかったが、この経験と悔しさを必ず4年後につなげる覚悟を示した。

1度、サッカーを辞めたことがある。中学の体育の授業中、サッカー未経験者にボールを奪われたからだった。あっさりサッカー部を離れ、バレーボール部に入部。そんな息子を米国出身の父ケネスさん(61)と、母登代子さん(63)は何もとがめずに見守った。

バレーボールに打ち込む時間が、逆にボールを蹴る楽しさを思い出させた。サッカー部に復帰し、人数が足りずに登録されたGKで才能が開花した。

進む道に迷ったこともある。高校時代、東北福祉大で教授を務める父と非常勤講師の母の姿に「体育の教員になろうかな」と考えたという。上の舞台に進む自信もなかった。それでもサッカーを続けたのは、好きで、うまくなりたいという強い思いがあったから。プロを目指す道を選んだ。

自分で考え解決する姿は昔から変わらない。小学6年の時、ふと言った。「なぜ僕の名前はカタカナで書くの?」。米国で生まれたが、物心ついた頃には日本在住。登代子さんは「自分のアイデンティティーに迷っていたみたい」と振り返る。中学2年生の頃、米ネブラスカ州のケネスさんの実家に2週間ほど滞在。ルーツに触れると、自然と口から英語が出た。「アメリカ人でも日本人でもあるのが自分」と納得できた。

たとえ回り道をしたとしても、自分で人生の節目を乗り越えてきた。「優しいからプロになれないと言われたこともあったけど、優しいと言われたほうが私はうれしいんです」。そう穏やかな笑顔で話す母と父へ-。シュミットは4年後、優しく強く、日本を守る姿を見せる。【磯綾乃】