00年シドニーオリンピック(五輪)女子マラソン金メダルの高橋尚子さん(46)らを育成した小出義雄氏(79)が指導の第一線を退くことになった。99年4月18日付の日刊スポーツでは、平成の名伯楽のインタビューを掲載。今回、復刻版として再掲載します(所属、年齢などは当時のまま)。

 

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野武士の風ぼうは、下ネタをしゃべり出すと途端に親しみやすい顔になる。還暦を迎えた小出義雄監督(60=積水化学)。有森裕子、鈴木博美、高橋尚子と女子マラソンのトップランナーを世界に送り出してきた。ユニークな掌握術、先見性、そして情熱。根底にあるのは少年時代の「駆けっこ」への思いだ。

 

還暦祝いは本人の知らないうちに準備されていた。「うちのおっかーがさぁ『お父さん今夜は親せきと夕食に行きますよ』って言うんだ。それで朝練習後に鈴木や高橋にも『オレちょっと用事あるから夕方の練習は悪いけど見られない』って断ってな。そんでホテルに行ったの、汚ねぇ格好してよ。そしたら……ビックリこいたな、ハメられたよ。沢木君(啓祐=順大監督)はいるわ鈴木も高橋もおるわ、親せきは全部いるわで焦っちゃったよ。そんでもって赤い帽子とちゃんちゃんことランニングと真っ赤なパンツはかされてよお。参ったよ」。実際の60歳の誕生日(15日)より早い3月上旬のことだった。

 

ざっくばらんな話し方が、年ごろの女子選手の心もしっかりとつかむ。「女の子ってのはね、言葉には出さないけど心の中では『私をしっかりかわいがってください』とみんな思うわけ。だから平らに見ないといけないんですよ、平らに。これ難しいよね。15人いれば15の性格がある。例えば有森。『コレやれっ』て言うと、ピシッとやり返され、ケンカになりますからね。僕は2段下がって『有森先生、有森先生』って呼んでましたよ。鈴木の場合は友人関係か僕が半歩下がった感じかな。高橋は素直に『コレやれっ』って言うと『ハイハイ』とくる」。指導法は“15人15様”、その掌握術にはかすかなぶれもない。

 

基本は褒めることだ。「ハシにもボウにもかからなかった」無名時代の有森には「お前はいつも全力で、心で走っている。素晴らしい。だから強くなれるゾ!」と褒めまくった。「足の遅い子でも『お前は本当にいい子だ、強くなるよ』と言ってりゃいいんですよ。そうすると足が痛そうだから『練習休みな』って言っても『いや走ります』ときて、どんどん成長していく。言葉のアヤだよね」。

 

下ネタも武器になる。「選手の前でいつもエッチ話したり、そのものズバリ言ってやるの。下ネタ?もちろんです」。開けっ広げな指揮官の姿が精神的に追い詰められた選手を救う。「練習って苦しいんだよ。練習前なんか精神的なつらさからショボーンとして目がトローンとなっちゃう。それが練習が終わるとニコニコして口数が多くなる。練習前に少しでも、そんな明るい態度が欲しいわけ。苦しい顔はしてもいいけど絶対にイヤな顔しちゃいかん。監督が二日酔いでも、選手が『よーし、やるぞ』と輝いた目をしてたらいい練習ができる。だから一人ひとりの目が輝くような会話を持っていく、それだけよ。『監督、バカばっかり言ってないでしっかりしてください』て怒鳴られたらコッチの勝ちさ」。

 

話術で選手が動くのは、その裏に信念があることを知っているからだ。「やっぱり、指導者は何か1つ選手に勝つものがないとダメ。職場だって『あの課長すごいな』って部下に思わせるものがないと威張ってるだけじゃ『このヤロー』と思われちゃうよね。僕の場合はさ、情熱しかないんですよ。陸上が本当に好きなんだから僕。嵐でもひょうが降っても台風でも僕は『走るぞっ』て外に飛び出す。すると選手は焦っちゃう。『監督って本当に好きなんだ』ってね。そうすれば何言ったって陸上のことに関しては信用してくれるんですよ。有森も鈴木も言います。『監督、陸上のことは100%信用します。私生活は全然ダメですけど』ってね。アイツら(笑い)」。

 

教員時代に検診でがんと宣告され(実は誤診)入院した時も、コッソリと病院を抜け出し、教え子とグラウンドを駆け回った。知人が亡くなり葬儀委員長を任された時も、途中で抜け出した。「たった10分の練習を見るのに往復2時間も車を飛ばしたんだ。23年間の教員時代も、1升飲んで二日酔いになっても走りたいから1回も休んだことねえもん。それっほど好きなんだ、駆けっこがさ」。

 

走る喜びは少年時代に知った。「人間ってさ、小さいころの環境が、人生や性格を左右するよね。僕は小学校や中学校の先生に恵まれてね。走ることが好きでいろいろな大会に連れて行ってもらって、優勝したりするんだ。そうすると『義雄はすごいな、将来は箱根駅伝に出ろ、いやオリンピックだ』なんて言われるんだよね。それってな(しばし目を閉じて)うれしいもんだろ。よーしと思って、畑の周りをオヤジの地下足袋履いて走るんだよ。そうやって先生から夢をもらってね。先生や学校ってのはさ、生きる力を教える人、場所なんだよな」。

 

「胴長短足」でも「人が2歩で走る所を3歩で行けばいい」とマイナスには考えなかった。山の上り下りを使っての練習、鉄道の1メートル幅のまくら木を小走りでまたぎながら通った高校時代。ケンカと喫煙で無期停学になっても練習のためだけに学校へ通った。全国駅伝にも出場した。高校卒業後、その道はいったん断ち切られたかにみえた。

 

「箱根駅伝に出たくて出たくて仕方なかった。ある大学にも誘われた。でもね、貧乏な農家に育ったから行けなくてね。19歳の秋まで家で農業してたの」。だが、あきらめ切れない。「人間は1回しか生きられない、これは自分の人生だ、よーしっと黙って家を飛び出しちゃったんだ」。学費をためようと電話線工事のアルバイトなどで都内を転々。それでも「夢があった」という。陸上部のある会社を経て、22歳の春、順大への道が開けた。あこがれの箱根駅伝も1年から3年連続出場。誘ってくれた帖佐寛章監督(現日本陸連副会長)のスパルタ指導も苦ではなかった。だが絶好調で迎えた4年秋。右足のけんしょう炎で、箱根メンバーから漏れた。周囲にあたり、わめき泣いた。人生最悪ともいえるこの時が実は「監督」としてのスタートだった。

「人間は1回、ドン底を見ないとだめだ。人に対する感謝の気持ち、頑張りとか……出てこないよ。若い時ほどドン底を見た人間は強い。僕は五流のランナーで終わった。でももし一流だったら、どうすれば(平凡な選手が)速くなれるか、分からなかったろうね」。

 

65年、順大を卒業し千葉県立長生高の教員となる。当時、高校女子長距離は800メートルしか種目がなかったが、将来必ず男子並みに種目が増えると読み、そのためのデータを女子の練習を通して収集してきた。70年から赴任した佐倉高時代には、17歳の選手を女子マラソンに挑戦させた。「生理中に走らせたんだ。お母さんに『うちの子を殺すんですか』って怒鳴り込まれたけどね。その時のタイムが2時間41分台で、当時の日本歴代3位。その時はまだ全然、素質のない子がだよ?だから行けるの、2時間20分だって切れるの。高橋には2時間16分と言ってるけどビックリするような数字じゃないんだよ」。この時から始まった20年近いデータの積み重ねが、女子マラソンの指導で他を寄せ付けない強みとなる。

 

何百人という教え子を見てきた経験から、顔や肌の色つやを見ただけで体調は分かる。「もうすぐ生理が来そうだな、終わったばかりだな、今は集中して走らす時期だな、とかね。人間の体だもん。1日1日、一人ひとり全部違うさ。それによって練習メニューも変える。『今日はもう上がろう、オレと一緒に手つないで帰ろう』っていうサジ加減。メニュー通りに走れたら監督なんかいらねえよ」。そもそも練習メニューは過酷だ。朝練習も20、30キロは走る。「世界記録を作りたいなら世界記録を作る練習、五輪でメダルを取りたいならメダルを取る練習がある。非常識じゃなきゃ常識的な記録しか出ないんだよね」。

 

結果という裏打ちがあるからこの人の言葉は重い。有森が五輪2大会連続のメダルを、鈴木は世界女王となり、高橋は世界最高に1分と迫る驚異の日本最高記録を樹立した。

 

意欲はいっこうに衰える様子がない。教え子だけでシドニー五輪マラソン代表枠の3人を独占し、金メダルを狙うという夢が残っている。「もう2、3番じゃダメ。勝つこと。今は鈴木、高橋(の力)が抜け(出)てるよ、うん」。いつかは身を引かなくてはならないことも分かっている。「もうオレも60。いつかケジメをつけなくちゃいけないな」。それはいつごろ? 「うーん、分かんねえよ」。

 

選手の将来はしっかりと見据えるこの人が、自分のことになると言葉に詰まり、苦笑いした。

 

 

◆89年から約8年間、小出監督の指導を受け五輪2大会連続メダル獲得の有森裕子(32=リクルートAC)の話 初めてお会いした時の第一印象は「目がきれいな人だな」でした。とにかく走ることが好きで純粋な人。前の晩いくら泥酔しても翌朝、お酒のニオイをプンプンさせゼーゼー息を吐きながらでも必死になって私たちと走るんです。臭いしうるさいけど(笑い)、あの息遣いや顔を見てると本当に走るのが好きなんだな、って。ギックリ腰で走れなくなった時なんて、1週間で一気に白髪がバーッて出ちゃって……。この人から走ることを取ったら何もなくなっちゃうと思いました。その気持ちが選手に伝わるから選手もついていくんですね。

 

 

◆97年世界選手権女子マラソン優勝の鈴木博美(30)の話 (市船橋高から)約15年も見てもらっているんですが選手を含め、あれほど陸上競技に情熱を持っている人はいませんね。選手の疲労や体調を見抜く独特の勘、調整法のひらめきなどでも信頼できる人です。

 

 

◆女子マラソン日本最高記録(2時間21分47秒)保持者・高橋尚子(26)の話 いっしょくたではなく選手一人ひとりの個性を把握して、ちゃんと見てくださる監督です。選手がうれしい時も悲しい時も同じ気持ちで接してくれます。見かけは怖いけど決して違いますから(笑い)。

 

 

★小出義雄(こいで・よしお)

1939年(昭14)4月15日、千葉県印旛郡根郷村(現佐倉市)生まれ。農業を営む両親に姉3人、妹1人の7人家族。山武農高3年で全国高校駅伝の3区を走る(チーム29位)。4年間の浪人生活をへて61年に順大体育学部入学。3年連続で箱根駅伝を走る。65年から教員生活が始まり千葉県立長生高-佐倉高-市船橋高と23年間、陸上部監督を歴任。佐倉高時代の78、79年に高校駅伝出場、市船橋高時代の86年には全国制覇。88年からリクルート監督として有森、鈴木、高橋らを世界へ輩出し97年(平9)4月、積水化学へ移籍。家族は啓子夫人(47)と3女。二女の正子(25)も積水化学所属。