初出場を狙った麗沢大が昨年に続き、次点で涙をのんだ。10時間57分12秒は、10位中大にわずか26秒差。11位でコールされると、選手たちの目から涙がこぼれた。

今年の箱根駅伝、国川恭朗(4年)が関東学連で4区を走り、山川達也監督がその学連を率いた。箱根未経験の学校にとって、この経験は大きかった。

国川は箱根路で得た知見を、チームメートに伝えた。かしこまった座学ではなく、日々のダウンジョグの最中、カフェなどで日常的に話した。「大学生は遊びたい年頃でもある。でも自分は箱根を走り、そこに出る厳しさを感じた。出場するためには最低限、自己犠牲を払わなければいけない」と伝え続けた。

大学2年の時、国川は胸郭出口症候群という病気になり、今も完治はしていない。首の神経が圧迫され、右腕がしびれるという。その苦しみを耐え抜き、最後の挑戦にかけたが、26秒及ばなかった。

宮田僚主将(4年)は「今年も次点で決めることができなかったが、本当に全員、気力を尽くしてくれたと思う。来年、後輩たちが箱根の切符を取ってくれると思う」とあいさつした。山川監督は「この26秒という悔しさを来年へどうつなげていくかです」と語った。

同好会から産声を上げ、3年目に部に昇格。16年の予選会は22位と落ち込むも、17年は15位、昨年は次点の12位と着実に実力を伸ばしてきた。この努力のタスキは来年以降の悲願達成に向け、後輩たちに受け継がれる。