東京オリンピック(五輪)が終わり、多くのアスリートが競技の第一線から去った。物語の終わりとともに、また新たな物語が始まる。連綿と続く日本スポーツ界という生態系に、新たな命が宿るように-。


五輪イヤーとなった「2020+1」。女子陸上界に現れた超新星、それが拓大1年生の不破聖衣来(ふわ・せいら)だ。世界の長距離界をリードするケニア人選手のように軽く、しなやかな走り。「呼吸をしていない」とまで表現される強い心肺機能が特長だ。昨秋の全日本大学女子駅伝のテレビ解説者として、その走りを目の当たりにした2000年シドニー五輪女子マラソン金メダリストの「Qちゃん」こと高橋尚子さんも、思わず「スターが誕生しました」と声を大にした。【佐藤隆志】


全日本大学女子選抜駅伝 レース後、高橋尚子さん(左)と笑顔を見せる拓大・不破(撮影・江口和貴)=2021年12月30日
全日本大学女子選抜駅伝 レース後、高橋尚子さん(左)と笑顔を見せる拓大・不破(撮影・江口和貴)=2021年12月30日

■12月の記録会で1万メートル日本歴代2位

早生まれの18歳。まだあどけなさの残る容姿とは裏腹な、他を圧倒する走りは「異次元」とまで表現された。加えて「フワセイラ」という目新しい名前の響き。どこか新時代の幕開けを予見させるような雰囲気を身にまとう。テレビ業界で大活躍する人気タレントの「フワちゃん」とも重ね、注目度は一気に高まった。


ここで大ブレークした不破の2021年をざっと紹介すると、こうだ。


◆6月24日(大阪・長居) U20日本選手権5000メートルで15分26秒09、優勝。


◆9月19日(埼玉・熊谷) 日本インカレ5000メートルで15分50秒32、優勝。


◆10月31日 全日本大学駅伝5区(9・2キロ)で6人抜きの区間賞。28分0秒のタイムは、従来のものを1分14秒も縮める新記録。


◆11月14日(福島) 東日本女子駅伝最終9区で区間賞。先頭から38秒差の3位から逆転し、群馬県を優勝に導く。


◆12月11日(京都) 関西実業団ディスタンストライアルで人生初のトラックでの1万メートルに挑み、いきなり日本歴代2位の30分45秒21(U20世界歴代5位)を樹立。22年7月に行われる世界選手権(米オレゴン州ユージン)の参加標準記録(31分25秒00)も突破した。


そして21年の最後を締めくくる12月30日の富士山女子駅伝(全日本大学女子選抜駅伝)では、再び「フワちゃんの異次元走」が飛び出した。

★ディープインパクトと同じ3・25誕生日

最長距離の5区(10・5キロ)。トップの名城大から2分22秒差の12番目でタスキを受け取った。最初の1キロを2分59秒で突っ込むと、154センチ、37キロの小柄で細身な不破がスイスイと前を追う。並走した日本インカレ1万メートル王者の大東文化大・鈴木優花も歯が立たない。4キロまでに9人、7キロでついに10人を抜いた。ケタ違いのスピードを披露し、従来の記録を1分54秒も短縮する32分33秒の区間新記録を打ち立てた。まさに無敵のシーズンだった。

全日本大学女子選抜駅伝の第5中継所に向かう拓大5区不破(撮影・江口和貴)=2021年12月30日
全日本大学女子選抜駅伝の第5中継所に向かう拓大5区不破(撮影・江口和貴)=2021年12月30日

「大学に入って環境が新しくなって大変な時期もありました。いいことばかりじゃなかったけど、新しい出会い、いろんな人に支えてもらって、いろんな刺激を受けて、自分も記録を残すことができた。結果的にすごく充実したものになったと思います」


2003年3月25日生まれ。あの「無敗3冠馬」ディープインパクトと同じ誕生日(02年3月25日)ということで話題になった。群馬・高崎市出身。大類中時代は全中の1500メートルで優勝するなど、世代を代表する長距離ランナーだった。


ただ高崎健康福祉大高崎高に入学後、故障で走れない時期があり、3年時の2020年には新型コロナウイルスの感染拡大でインターハイが中止になるなど、活躍の場が失われた。3年秋に行われた全国高校大会の3000メートルで6位入賞、同年冬の5000メートルを15分37秒で走り、高校ランキング1位となった。それでも、わずか1年でここまで注目されるランナーになるとは想像できなかった。


どこが成長して、これだけ記録を残せたのだろうか? ターニングポイントは2度にわたる貧血だったという。


「初めて貧血になって走れない時期が2回くらいありました。最初が大学入ってすぐの3月から5月の初めにかけて。その後夏合宿中になってしまって。その期間は結構苦しかったです。そこで食事で体をつくる大切さを実感しました。自分の体づくりの面で成長できた1年でした」


一番増やしたのはお米の量だった。毎回「デカ盛りです」と笑う。食べることで体重が増えるのでは、という不安があったというが、体重の超過もなく、むしろ筋肉が増えていることを実感した。食生活を改善したことで、走れる体がつくられた。それと歩調を合わせるかのように快進撃が始まった。


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ランナーにとって体こそ富を生み出す資本。富士山女子駅伝の閉会式では、高橋尚子さんから声をかけられた。走りを称賛する言葉とともにシンプルだが、強いランナーになるために「いっぱい食べて、いっぱい寝ること」と伝えられた。世界一に輝いたQちゃんの言葉にうなずき、「すごい選手に褒めていただけるのは刺激になります。もっと頑張ろうという気持ちになります」と気持ちを新たにした。

■原点は祖父と姉との日課の朝ラン

陸上一家に育ったわけではなく、母が中学時代に陸上部だったというまで。むしろ小学生時代はミニバスケットに熱中していた。ただ走りの原点は、学校の持久走の練習として、小学3年生の頃から毎朝のように祖父と姉の亜莉珠さん(実業団の陸上選手)と走っていたことが発端だ。5年生から本格的に陸上の練習を始め、頭角を現した中学からそちらに専念した。


その素顔は気さくで明るく、ピアノでディズニー音楽を弾くのが趣味という。姉の同級生で小学生時代から親しい、拓大の八田ももか主将(4年)がこう明かしてくれた。

拓大・不破聖衣来(21年12月30日撮影)
拓大・不破聖衣来(21年12月30日撮影)

「(寮生活で)休みの日は一緒にご飯をつくって食べたり、同じ時間を過ごすことが増えました。あまり感情を表に出さないイメージがあるかもしれませんが、天然な子で(突然)叫んだりします。本当に元気でかわいい子です。小さい時から見ていたセイラが一緒にいてくれたのは(チームにとっても)大きい」


拓大へ進学したのも、八田主将から熱心に誘われたからだ。富士を舞台に走った駅伝大会では、八田主将と一緒に走る最後のレースだった。不破は「ももかさんのために、自分は走ります」と宣言。3週間前に1万メートルを日本歴代2位の記録で激走し、その疲労が完全に抜けていない中、圧巻の10人抜きを達成した。自分のためでなく、誰かのために走ったからこそできた。利己でなく利他の精神。不破の人柄とともに、力の源泉までも透けてみえた。

■Qちゃん育てた小出流でフワちゃん指導

そんな不破を語る上で、指導する拓大の五十嵐利治監督は最も身近な存在であり、良き理解者だ。亜大で箱根駅伝を走り、有森裕子や高橋尚子らを育てた名伯楽、小出義雄氏(故人)の下でユニバーサルエンターテインメントのコーチとして活動した「小出門下生」。小出氏の哲学を引き継ぎ、選手個々に寄り添ったきめ細かな指導が持ち味。その五十嵐監督は不破をこう評する。


「臨機応変に、走り方を分かっているというか。先頭を狙うとなると(最初から飛ばす)あーいう走りもできるし、前に追いついてしっかり突き放しにかかる走りもできます。どんな対応もできるのが彼女のすごみ。駅伝の鉄則で突っ込んで粘ってラスト頑張る、というのはやっぱりすごい」


クレバーであり、技術的にも高い。1万メートルの終盤でも崩れない、強い体幹を生かした上下動の少ないフォームは、中学、高校、大学と続く過程の中で磨き上げた努力の賜物だと言う。そう話した後にことさら強調したのが、内面の要素だった。


「先頭に出るんだという気持ちを持って本人が走っている。走り終わって、先頭に出れずにすみませんというくらいだから。そういう気持ちの強さとか、仲間に対する思いがすごい。本当に性格がいいし、いろんな(いい)部分がありますね。今までにない選手です、すべてにおいて」


コロナ禍に突如として現れたニューヒロイン。五十嵐監督が続ける。


「故障させるなとか、日本の宝だという話はよく聞くんですけど、そんなの私が誰よりも一番分かってやっています。本当に神経を使ってやっている。私の隣で見ていれば、そこまでやっているの? ってくらいやっています。コンスタントに結果を出せているということが、何よりの証拠。故障させずに無理させていないという証拠がこういうことだと思う。本当に練習はさせていません」

■2022年も「ごぼう抜き」でスタート

新たな年を迎えた1月16日、不破の姿は京都にあった。都道府県駅伝に群馬代表として4区(4キロ)を走り、12分29秒の区間新記録で13人抜き。「前にいる選手をひたすら追いかけて、こういう記録を出せてうれしいです」。新年初戦で代名詞の「ごぼう抜き」を披露した。今年は7月に世界選手権を控え、2年後のパリ五輪を見据える不破は、1万メートルで日本代表の権利を勝ち取ることを大きな目標としている。未来への試金石となる1年の始まりだ。

全国都道府県対抗女子駅伝 区間賞と優秀選手賞のトロフィーを手に笑顔を見せる不破聖衣来(撮影・前田充)=2022年1月16日
全国都道府県対抗女子駅伝 区間賞と優秀選手賞のトロフィーを手に笑顔を見せる不破聖衣来(撮影・前田充)=2022年1月16日

「日本選手権に勝ち、その先の世界に進めたら、一番の目標のパリ・オリンピックがある。そこに向けた初めての世界舞台のレースになるので、世界選手権でも戦えるように頑張りたい」


まだ18歳にして、1万メートルで「爆走娘」福士加代子、渋井陽子らレジェンドたちを後方に置き、日本歴代2位の30分45秒21の記録を打ち立てた(1位は新谷仁美30分20秒45)。しかも人生初めてとなる1万メートルのトラックレースで記録したというところに「ディープインパクト(大きな衝撃)」を覚える。ただ、本当の目標はその先にある。マラソンランナーとして五輪での金メダル獲得だ。日本選手としては00年シドニー五輪の高橋、04年アテネ五輪の野口みずきしかいない。小さな体だが夢はでっかく、そこにターゲットを置いている。


「フワちゃんの異次元走」に世間の注目度は増すばかりだが、「自分自身、実感がまだない。取り上げていただけるのはありがたいことなので。プラスにしてこれからもどんどん活躍したいです」と力みなく言う。


昨年の大ブレークは第1章にすぎない。前程万里の不破聖衣来の物語、「2020+2」の第2章が始まった。