<びわ湖毎日マラソン>◇3日◇滋賀・大津市皇子山陸上競技場発着(42・195キロ)

 「10年のトラウマ」を払拭(ふっしょく)して、藤原正和(31=ホンダ)が今夏の世界陸上モスクワ代表の座を有力にした。38・5キロ付近で同僚の石川末広を振り切り、前を行く外国人3人をピタリ追走。日本人トップの2時間8分51秒で4位に入った。03年世界陸上パリ大会を、直前の故障で無念の欠場。以後、貧血や故障で悩まされながら愛妻との二人三脚で、世界切符をほぼ手中に収めた。ビンセント・キプルト(25=ケニア)が、2時間8分34秒で優勝した。

 我慢を重ねた、この10年の苦しみに比べれば…。そんな思いを藤原が、修羅場の35キロ過ぎで爆発させた。7人の先頭集団から山本がこぼれる。石川も置き去って外国人を追う。「こいつらを倒さないと世界は開けない。3人のうち何とか1人でも倒す!」。駆け引き抜きでゴールにひた走る。褒美は8分台の掲示だった。

 「10年前、ここで勝ってその舞台に戻ってこれた。何とか(代表)選考に乗れました」。そう言って藤原は、少しばかり顔をほころばせた。中大4年時の03年のこの大会で、2時間8分12秒の初マラソン日本最高と日本学生歴代1位を同時に樹立。夏の世界陸上パリ大会代表の座を射止めた。

 暗転はそこから始まる。右腸けい靱帯(じんたい)炎を発症。パリで下見までしたが、レース2日前に無念の欠場を余儀なくされた。「記者会見を終え帰りの車で見た競技場の光景は、今でも夢に見る」という。

 次のマラソンに5年かかるなど、以後も故障と貧血に悩まされた。好転は2年前の4月に結婚した麻紀子夫人(31)の存在。「私が何とかする」と鉄分摂取に、ひじきや鶏の肝煮、青汁を毎食のように献立に加えた。

 今年1月にも貧血を起こし、出場予定だった2月24日の東京マラソンを回避。今回はスライドしての出場だった。「奥さんが頑張ってくれて、二人三脚で間に合いました」。これで一区切りと、最後になるはずだったレースで、世界切符を有力にした。今度こそ、モスクワを走る。【渡辺佳彦】