北海道・旭川市で開催された1990年11月のNHK杯で初めてフィギュアスケートを取材した。お目当ては前年の世界選手権で女子で初めてトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を着氷させて優勝した伊藤みどりだったが、今も記憶に残っているのは鍵山正和がフリーで挑んだ4回転ジャンプである。

当時、世界で4回転を跳べたのは世界王者のカート・ブラウニング(カナダ)1人だけ。日本の男子は入賞さえ厳しいレベルで、鍵山は練習でも両足着地で50%の成功率と聞いていたので期待していなかったが、お手付きしただけで着氷してみせた。成功まで紙一重。目先の成績より、夢に懸けた彼のチャレンジ精神に胸を打たれた。

今季のグランプリ(GP)シリーズ第3戦イタリア大会で、海外GP初参戦の18歳の鍵山優真が逆転優勝した。11月6日の男子フリーで、冒頭の4回転サルコーから後半に初めて組み込んだ4回転トーループまですべてのジャンプを決めて、ショートプログラム(SP)7位から上位6人をごぼう抜き。現行GP史上最大差をひっくり返した。

公式練習後に父正和コーチから「立場とか成績とか関係なく、練習してきたことを頑張るだけだよ」と声をかけられて開き直ったという報道を読んで、30年以上も前の父の4回転ジャンプが記憶の端っこからよみがえってきた。

あの時、父は19歳。練習は1日4時間。「跳ばないと夢がかなわないから」と体中にあざをつくりながら必死に跳び続けた。右手と左手の大きさが違っていた。「転んで手をつくのが左手ですから」と平然と話していた。その後、負傷のリスクが高いために4回転は封印したが、あの何度も転びながら体得したジャンプの技術や感覚が、息子に受け継がれているのだと思った。

“4回転”の伝承といえば、もう一組、思い出す父と息子がいる。陸上男子ハンマー投げの室伏親子である。父重信は外国人との体格と体重差を補うため、4回転投法を編み出した。スイングから回転、投射に至るまで、全身を使った体のひねり、地面の反発を利用する。手探りで投げ続けた選手生活の後半、ついに回転中に体を後方に傾けて加速する「倒れ込み」という技術をつかんだ。後に五輪で金メダルを獲得する長男広治のベースにも、あの父の技術があった。

スポーツ界に親子鷹は多い。鍵山、室伏親子以外にも、ともに五輪金メダリストの体操の塚原光男と直也や、重量挙げの三宅義行と宏実、大相撲の元大関貴ノ花と若貴兄弟などが有名だ。ただ、アスリートの運動能力は体格や体力などの遺伝的な要素よりも、技術や練習量といった後天的な要素の方が大きいと言われる。親が長い試行錯誤の末に見いだした技を、直接引き継ぐことができる。それが親子鷹の最大のメリットなのだと思う。

もっともスポーツ科学は時代とともに進歩する。親の技術を伝承するだけでは、世界で勝つことはできない。室伏広治は漁師の投網の動きをトレーニングに取り入れるなど、父の技に加えて独自の練習方法や技術を積み重ねて、世界の頂点に立った。鍵山優真はまだ18歳。父の指導をベースにした演技を、どこまで自らの力で進化させるだろうか。【首藤正徳】(敬称略)(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)