「レース前に大事なのはテンションです。会場が盛り上がっていると、気持ちのスイッチが入る」

 9月9日、福井県営陸上競技場。桐生は正式タイム9秒98が出た瞬間、両手をバンとたたいて駆けだした。人さし指を突き出し、走り回って喜びを爆発させる。16年リオ五輪400メートルリレー銀メダルでもアンカーのケンブリッジに胸をぶつけるように抱きついた。無邪気で、そしてちょっぴり目立ちたがり屋。そんな性格は小学校時代からだ。

 滋賀・彦根市立城陽小6年時の担任だった中川大介さん(40)には、印象に残っていることがある。それは卒業を間近にした春。6年生が体育館のステージで学校生活の思い出を寸劇にした。当時の6年生は24人学級が2クラスで、約50人の保護者がつめかけた。生徒たちは当然、緊張する。

 桐生は4年時の思い出が担当。仲間と8人でステージに上がった。テーマは滋賀・長浜市の大通寺に電車で行った遠足。みんなでお土産屋に立ち寄って「しょーもないもんばっかりやな。ここじゃなくて別の店にいこー」と舞台の袖に去る場面だった。そこで桐生が突然、アドリブを入れた。

 中川さんは「練習ではなかったんですが、桐生君が1人で引き返してきて『これは』といって(小道具の)扇子を持って帰った。その後の出番でも扇子を開いて、バタバタとあおいでいた。ひょうひょうとしてましたけど、なんて肝の据わった子なのかなと」。中川さんは卒業の時に生徒1人1人に送るメッセージで、桐生にこんな言葉を書いた「最後の劇でアドリブをきかせる、その心の強さはスポーツ選手に必要やから楽しみにしているよ」。

 当時のあだ名が「ジェット桐生」。中川さんが運動会の時に足が速い桐生を見ていると4歳年上の兄将希さんの担任だった先生に「お兄ちゃんも速くて、ジェット桐生と呼ばれとったんや」と教えられたという。

 「明るく、元気で、体を動かすことが好きな子ども。廊下を走ったりはあっても、曲がったことをして怒られるようなことはなかった。体育で野球をやれば打つのが得意で、マット運動、跳び箱もうまかった。授業で手を挙げるタイプではなかったけど、社会で歴史をやると『(その人物)めっちゃかっこいいな。どうなったの』と質問したり。興味があることを聞いてくるタイプ。とてもわかりやすい子だった」。

 うれしい時は体全体で喜んで、悲しい時は涙を流して悔しがる。

 歴史的な9月9日。速報値9秒99が出てから40秒後、正式タイム9秒98が表示された。10秒00の前日本記録保持者伊東浩司氏は「地鳴りのような歓声だった。これが9秒台なのか」と言った。裏表のない21歳の歓喜と、スタジアムの熱狂がシンクロした。その瞬間は、立ち会った人すべての心に一生刻まれるだろう。【益田一弘】


 ◆益田一弘(ますだ・かずひろ)広島市出身、00年入社の41歳。大学時代はボクシング部。陸上担当として初めて見た男子100メートルが13年4月、織田記念国際の10秒01。昨年リオ五輪は男子400メートルリレー銀メダルなどを取材。