「4人で洛南にいって、全国制覇しよう。滋賀県の4人で洛南に入って、チームを強くしよう」

 日本人初の9秒台をマークした桐生祥秀。彦根市立南中学校では全国タイトルは逃した。卒業時の色紙には「夢の舞台に駆け上がれ。目指せ、全国制覇」と書いた。同じ滋賀県内の中学生で400メートルの高野健、3段跳びの犬井亮介、走り幅跳びの山川夏輝と4人で京都・洛南高に進学した。それぞれの種目で活躍して高校総体で全国優勝する-。高校陸上界で「滋賀カルテット」とよばれた4人はいつも電車で高校に通った。

 彦根市内の実家から洛南高まで、毎朝6時の電車に乗った。通学時間は約片道1時間半。洛南高には遠方から入学する生徒のために寮もあった。しかし柴田監督は、桐生の両親に自宅からの通学を勧めている。

 「自宅から通えば、お母さんはお弁当を作るために毎朝早く起きることになる。でも私は息子さんに感謝の気持ちをもってほしい。陸上ができることに対する感謝。だからご両親は大変だと思いますが、自宅から通学させてください」。

 母育代さんは毎朝5時前に起きて、お弁当をつくった。父康夫さんも毎朝、車で息子を駅まで送った。

 柴田監督は桐生を徹底的に鍛えた。入学当初はフラット接地が苦手。バウンディング(上にジャンプするように進む練習)ミニハードルを反復させた。洛南高は土のグラウンドで、直線距離で約80メートルしか走路がとれない。時には学校近くの公園で芝生の坂道150メートルを何本も何本も走らせた。胃液を吐くようなメニューで地力をアップさせた。

 一方で伸びしろを残すためにほとんど筋力トレをさせなかった。フィニッシュで胸を前に出す練習もさせていない。「テクニックは大学生になってからでもつく。高校年代にはそれよりも大切なものがある」。

 高2の夏にはけがもあった。中2の冬と同じ腰痛と足底筋膜炎。「コルセットをして安静にしていた。歩くのもつらかった。友達が楽しく走っているのを見て悔しかった」と桐生。2年時の高校総体でチームは総合優勝を果たしたが、桐生は個人タイトルなし。総合Vに歓喜するチームメートの中で、桐生は「(個人種目で)それまで勝てなくて。悔しくて泣いた」とふがいなさに泣きじゃくった。

 両親の支え、柴田監督の指導、仲間との日々。非凡な才能を発揮し始めた「ジェット桐生」だったが、高校総体での個人タイトルはなかった。そして高3の春にいきなり飛び出した衝撃の10秒01。これが「9秒台狂想曲」の始まりだった。【益田一弘】

 ◆益田一弘(ますだ・かずひろ)広島市出身、00年入社の41歳。大学時代はボクシング部。陸上担当として初めて見た男子100メートルが13年4月、織田記念国際の10秒01。昨年リオ五輪は男子400メートルリレー銀メダルなどを取材。