自宅でテレビ画面を見つめながら「よしっ!」と声を出し、少し時間がたって「なるほど」と思った。日本時間の5月5日夜に行われた卓球の世界選手権団体戦(スウェーデン・ハルムスタード)。女子決勝で世界ランク2位の日本は、同1位の中国に1-3で敗れた。その第1試合、伊藤美誠(17=スターツ)は世界ランク1位の経験を持つ劉詩■をフルセットの末に破る快挙を成し遂げた。

中国の劉から金星を挙げ、喜ぶ伊藤美誠(AP)
中国の劉から金星を挙げ、喜ぶ伊藤美誠(AP)

 「なるほど」とうなずくほどに、9カ月前の印象的な言葉の数々と目の前の光景はリンクしていた。17年8月。私はフィギュアスケート女子の本田真凜(16)について同じアスリート目線での話を聞くため、友人である伊藤の大阪市内の練習場を訪ねた。午前練習を終えた伊藤は「こういう取材って珍しくて、なんか楽しい」と笑顔を見せながら、体を休める昼の貴重な1時間を取材に費やしてくれた。その最初、1カ月後に控えていた中国下部リーグ参戦の話題になった。武者修行は2週間に設定されていた。

 「もともと自分の卓球は中国に合っていないと思っていたけれど、別に合わなくてもいいから、どれぐらい通用するのか試してみたいなと思いました。そこにちょうどチャンスをいただいたんです。でも、1カ月とか2カ月とか行っちゃうと、私の卓球が『そっち(中国)に染まっちゃうかな』というのもあって。自分の卓球を持ちたいので。練習と合わせて2週間ぐらいっていうのが、すごくいい期間かなって思います」

同じ高校1年で五輪シーズンを迎える本田真凜へエールを送った伊藤美誠
同じ高校1年で五輪シーズンを迎える本田真凜へエールを送った伊藤美誠

 中国に染まることを嫌がったその言葉と、劉詩■戦は無関係ではないと思った。相手の意表を突いた攻撃を次々と繰り出し、リードされている場面でも先手、先手を打っていった。

 高1で出場した16年リオデジャネイロ五輪は女子団体で銅メダル。そこからの約1年間は、国内でも結果を残せずに苦悩したという。伊藤はあの日、こうも言っていた。

 「自分の中では五輪前の方がすごく良かった。今ももちろん試合は好きで楽しいんですけれど、やっぱり五輪後だとみんなが向かってくるんですよ。自分が向かっていっても、もっと向かってくる。自分がいい感じだと思っても、相手が良すぎて悪く感じちゃう。だから『今やっていること、合っているのかな?』とも思うし、なんか考えることがどんどん増えちゃった」

 そう話しながら首を傾げた後に「ちょっと考えるぐらいがいいんですよ」と笑っていた。中国リーグ参戦、全日本選手権初優勝など濃密な9カ月を経て、今大会では本当にその理想を体現しているように見えた。

本田真凜
本田真凜

 取材はその後、フィギュアスケートの話題へと移っていった。60分の3分の2程度はスケートや本田の話題になった。伊藤は16年12月に大阪で行われた全日本選手権で、初めてフィギュアスケートを生観戦。その見方も新鮮だった。

 「私がフィギュアを見るときは足を見るんです。『どうやって跳ぶんだろう』って跳び方だったり、着氷の仕方が気になるんです。足の使い方ですよね。ずっと下の方を見ています。卓球に通じるかは分からないんですけれど、フィギュアを見ながら『体幹をしっかりしないといけないな』とか考えています」

 おそらく私を含め、多くの人は初めてフィギュアを見る際に、いきなり足の動きに注目することはないと思う。足から頭まで、全体を見るのが一般的だろう。

 「あの時の真凜ちゃん、試合後にすぐ『美誠ちゃん、今どこ~!?』って連絡が来て『えっ、切り替えるの早っ!』みたいな感じで笑えてきたんですよ。切り替えの早さとかがすごく似ていて、一緒にいて楽。それにすごく面白くて、かわいい子なんですよ~」

 当時の取材メモを読み返すと、満面の笑みで本田のことを語る伊藤の顔が思い出される。それほど楽しかったフィギュア観戦の時間でも、ふと卓球のことを考えて視線は自然と競技者の足の動きに向く。一方で卓球の張り詰めた真剣勝負の場では、どこかに少しのゆとりを持ちながら、その空気感を楽しむ姿勢がある。そのバランスこそが「伊藤ならでは」で面白い。もちろん、根底には「自分の卓球を持ちたい」と言い切ったように、長年の鍛錬や修羅場をくぐってきた自信に基づく頑固な自分がいる。

 伊藤が格上相手に執念で勝ちをもぎとった姿は、今春から米国を拠点に平昌五輪を逃した雪辱を期す本田のみならず、多くのアスリートにパワーを与えたことだろう。東京五輪までは、5月16日で残り800日。伊藤や女子卓球日本代表のさらなる躍進を心の底から願う気持ちとともに、「強い者に立ち向かう」というスポーツの醍醐味(だいごみ)を再確認させてもらった。【松本航】


※■は雨カンムリに文の旧字体


 ◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。兵庫・武庫荘総合高、大体大とラグビー部に所属。13年10月に大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月から西日本の五輪競技を担当し、フィギュアスケートやラグビーなどを中心に取材。