【ヌルスルタン(カザフスタン)=阿部健吾】男子グレコローマンスタイルの五輪実施階級、60キロ級で17年世界王者の文田健一郎(23=ミキハウス)が決勝進出を決め、表彰台が条件だった東京オリンピック(五輪)代表を内定させた。

寝技の新たな武器も決め、3試合を勝ち抜き今大会で日本勢第1号の五輪代表に。12年ロンドン五輪を生観戦して奮えた夢舞台へ、自らが立つ。77キロ級の屋比久翔平(24)、130キロ級の園田新(25)は初戦敗退した。

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こみ上げた。「ロンドンを生で見て、すごい格好いいと思い…」。五輪について聞かれ、準決勝後の取材エリアで泣いた。

7年前、高2の文田は「格好いい、格好いい!」と興奮して連呼していた。12年ロンドン五輪、米満の日本勢24年ぶりの優勝を目撃した。恩師の父敏郎さんが1人で行くはずが「行きたい」と駄々をこね、祖母が50万円の渡航費を出してくれた。「会場を生で見て、全員が熱狂して、注目されている中で戦っている米満先輩。レスリングのイメージが国内とは全然違う」。衝撃だった。直後に金メダルを触らせてもらい、初めて五輪が明確な目標として輪郭を得た。「あれが大きかった」。その舞台への切符をつかむ戦いだった。

初戦は通常通り硬さが目立ったが、戦略性を備えていた。文田といえば、立ち技の投げが代名詞。驚異の柔軟性がなす大技は、猫好きの「にゃんこレスラー」として有名になったが、この日は寝技でみせた。3回戦から相手を回す新技を海外初解禁。準決勝のネジャチ戦では、第1ピリオド(P)で左薬指を「たぶん亜脱臼」も、第2Pまで「見せないようにしていた」とそれまでの右ではなく左に回し、一気にテクニカルフォール勝ちにつなげた。「目の前の1試合1試合、刹那的だった」男に、先を見据える力が加わった。

これで国内のライバル争いにも終止符を打った。日体大の2学年先輩でリオデジャネイロ五輪銀メダルの太田。ブラジルに同行しパートナーを務めて以降、勝ち負けを繰り返した。「あの人がいなかったら今の僕はない。大きな存在。ただ、1枠しかないので、それは譲れなかった」と力強く言った。

「やはり輝いている。あの舞台で戦えるのは特別なこと。舞台は整った。次は五輪で優勝するための取り組みをしていきたい」。米満先輩と同じ頂点へ。あのとき触れた輝くメダルを、8年後の自分が手にする。

◆文田健一郎(ふみた・けんいちろう)1995年(平7)12月18日、山梨・韮崎市生まれ。韮崎西中1年からレスリングを始める。父敏郎さんが監督を務める韮崎工で、11~13年の全国高校生グレコローマン選手権と国体で3連覇など高校8冠を達成。17年世界選手権では初出場で優勝。34年ぶりの日本男子の世界選手権金メダルとなった。無類の猫好きで、いつも猫カフェに3時間滞在する。スコティッシュフォールドと、マンチカンが好み。身長168センチ。